Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ヴァナキュラーな生活

まだそれほど社会的に知られている言葉では無いが、「ヴァナキュラー(VERNACULAR)」という概念がある。アメリカの建築家であるバーナード・ルドフスキーwikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC)により提唱されたこの概念は、建築の土着的かつ専門家を介さないものを定義したものである。もっとも、この提唱の中身を深く勉強したわけでもないのであくまで私の受けとった認識であるということはご容赦願いたい。
それは、結果としての自然発生的な技術や技能によらない伝統的な住まい方を意識したものではあるが、年数を経て今では概念が広がりを見せ反技術や反グローバルと言った生活スタイルのイメージを掴み取りつつあるように思う。それはおそらく専門家を利用しないと言うことで効率化とは対極の姿勢でありながら、同時に無駄遣いとも一線を画したものがイメージされているのだと思う。
効率化の典型がマクドナルドなどのファーストフードにより具現化されるとすれば、スローフードとして提唱されている形を住まい方にまで広げたものと考えても良い。ただし単なるアンチ合理化の枠には留まらず、むしろ積極的に土着的な存在を推奨するようなメッセージ性が強い。
あるいは、ロハスLOHAShttp://ja.wikipedia.org/wiki/LOHAS)な生活と言うよな、健康的で環境に配慮した持続的な生活を送ろうというライフスタイルともお互いに関係しあっているかもしれない。

イメージとしては、ロハスという言葉はどちらかと言えば自然を積極的に利用しながらも持続的に得られるものがあり、ヴァナキュラーという言葉は自然を受け入れるという感じがしている。能動的なそれと受動的なそれといった違いであろうか。別にどちらが良いという訳でもないし、私自身はそもそも自然回帰を目指せない程度に都会と人工物に毒されている。
ヴァナキュラーという言葉を考えた時、自然への寄生が思い浮かぶ。アクティブな自然利用ではなく、受け身の自然利用。そこには、自然から過度の利益を絞り出さないという感覚であろうか。今の人間の生き方で最も問題なのは、生活だけでなく全ての面において全体の調和を乱して過度の利益を貪ろうとする面があるのだろうと思っている。
経済では一部のファンドや機関が多大な利回りを追い求め、農業でも遺伝子操作に代表されるように効率性や生産性がとことん追求されている。それは今すぐに私達に何かのデメリットを与えるかどうかはわからないが、着実にその分野における歪みを蓄積していっているように思うのだ。そして、貯まった歪みは多くの場合別の場所から火を噴く。欧州危機なども、金融機関が実質的に過大な利益追求を行った結果(そしてそこに皆が群がった)とも言える。

私達が未来を考える時に、現代から多大な利益を蝕んではならないという時系列に絡んだ総量の問題があるのであろう。だとすれば、積極的に環境に関与しないでむしろ受動的に生きるというヴァナキュラーな精神は、それを全てとする必要はないものの部分的に考えてみるのもいいのではないだろうか。