Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

実より虚を取るメンタリティ

面白い記事を見かけた。長崎県知事が政権批判をしたから民主党長崎県の陳情を受け付けないというのだ。謝罪訂正をすれば受け付けるとしているが、逆に言えば謝罪などをしないとしなければ陳情を受け付けないというのである(読売online:http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120523-OYT1T00285.htm)
でも、正直言ってこの記事を見て奇妙な感覚を覚えた。そもそも、陳情は受け付けたとしても聞き入れるかどうかは別問題である。陳情を受け付けないというのは、大げさな言い方かも知れないが絶縁すると言うにも等しいことだ。要するに恫喝なのである。
本来、国の行政組織は法律に基づき統治する。政党は国の機関ではないからそれには縛られないが、政権と政党の一体化を目指す民主党では実質的に政党の拒否は政権の拒否と同じ意味を持つ。だとすれば、日本という国が長崎県の希望を拒否したにも近い。もちろん完全にそう言うわけではないが、建前上の受け取りすら拒否するというのだから笑い話では済まない。
現状、この件について長崎県知事が陳謝する意向を示しているようではあるが、県民のために自己の主張を捨てて膝を屈しようとするのだから、長崎県知事は虚を捨てて実を取ろうとしている。
もちろん、ここに至るまでの様々な件があったのは事実だろう。かつても似たような確執があったのは報道等で承知している(youtubehttp://www.youtube.com/watch?v=rtxLb0Uet5A)。そう言う物も含めて大人らしく振る舞うのが政権与党の姿であろうに。

政治の目的は実であるが、過程においては虚実の駆け引きがなされるのは分かなくもない。ただ、それはあくまで実を取るために虚を駆け引きに用いるのである。さて、今回の行動は実を得ることができるのだろうか。私には虚を得るために実を捨てる行為に見えて仕方がない。
ここにおける虚は、イメージであったり名声であったりあるいはプライドであったりする。もっとも、これらは実の結果得られるものであって先んじて持つことに大きな意味はない。あると言えば、自分の実体をかさ上げしようという場合くらいである。自らの自尊心を満足させたいという意図が顕在化したものと考えられる。

もし、実を掴むつもりがあるならば仮に過ぎた批判を受けたとしても、それを乗り越える結果を示すのが政治の行うべきことであり、実がないことを相手を逆に攻撃することで誤魔化しても一時的な自己満足しか得られないであろう。そして、こうした行為が確実に国民の信頼を失わせていくのである。
なぜ、判っていてもそうした行為に走るのか。簡単に言えば、自分たちに実がないことを知っていながらも肥大化した幻影を守ろうと喘いであるからであろう。虚像を打ち消すどころかそれに依存するメンタリティは、少なくとも国民のための政治などと標榜できるものではない。民主党が最初に考えるべきことは、実像に対して肥大化した自尊心を自ら砕くことから始まるのではないだろうか。

「虚を喜ぶ人は、容易に変節する。なぜならば核となる実を持たぬからだ。」