Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

結果と過程

子供の頃には過程が重要で、大人になれば結果が求められるとは良く聞く話ではあるが、果たしてそれは真実なのだろうか。
実を言えば私は子供で煽るが大人であろうが結果も過程も共に重要であり、いちいち状況に応じて差異を付ける意味はないと思う。その上で結果と過程は担う役割が異なるということを知るべきであろう。

子供の頃に過程を重視するというのは、考え方からすれば確かに理に適っている面がある。それは、まだ必ずしも成功を義務づけられていない子供達に、努力の重要性を習慣づけるという教育論的なアプローチについては肯定的なものと考える。実力を付けるためには過程が重要であり、短期的な結果を追い求めて過程をおろそかにしないという戒めの役割も兼ねているからだ。
しかし、子供であっても人間である以上短期的な結果がモチベーションに大きく影響する面も捨てきれない。すなわち、結果を完全に無視できるわけではないと言うことでもある。理想的なことを言うならば、子供の頃には結果に一喜一憂せずに実力を高めるためにその過程を重視すべきであると言うことは確かに正しい。ただ、楽しみの少ない努力を続けられる子供はそれほど多くはないというか、あまりいないのが普通である。如何にやる気を引き出すかと考えるならば、シビアな競争ではなくとも何らかの結果を見ることが必要となる。

過程は実力を養うためには非常に重要であるが、人が関わる以上心理面を無視できない。だからこそ、結果を上手く利用することでモチベーションを維持したり向上させたりする。これが、過程と結果のバランスなのであろう。
ところが、社会人になればそのバランスは当然変わる。基礎作り・土台作りだけでは成果を上げられない。利益を得るためには結果が必要である。企業であれば業績を上げることがそれになる。だから、結果を心理的側面のサポート材料のみとするわけにはいかない。
ただ、この結果というものも曖昧な概念だ。結果と言ってもほどほどのレベルもあれば、大きな成果の場合もある。何も大人が結果を求められるのは常に最大限の成果を期待されているわけではない。重要なのは、ある程度の期待値に答えることが求められているわけである。仮に社会人であっても新人とベテランでは当然その期待値は異なる。あるいはプロスポーツ選手などで高い資金をかけて獲得した場合と、そうでない場合も期待値は異なる。
よりよい結果を出すことが求められるのはその通りではあるが、あくまでそこには一定の相場が存在するのである。それをクリアしていれば、残りのパワーを過程に投入して自分の能力をもっと高めることに専念しても良い。それは将来に対する投資でもある。

私達は、常に短期的な結果と将来に対する投資である過程を並行して求め、求められる。ただ、過程については遠くから見ていても分からない。だから人の評価は結果により為される。短期的な結果のみを追求しても、的確な過程を経ていないと蓄積される実力は底が浅い。それではよほどの天才でもなければすぐに保有している才能は枯渇してしまうであろう。
これは、人の場合だけではない。地方社会や国家であっても同じことが言える。短期の結果ばかり求めることは一見シビアな世界を生み出し、強烈な競争に巻き込まれるが故に力を付けるのではないかと感じてしまう。しかし、その力を付けるためには適切な過程を経なければならないのだ。
それなしには、将来にわたる戦略も計画も立てることはできないであろう。中国や韓国などは日本に取って代わるという目標のみが先行しすぎて、実力を蓄える過程を軽んじているように思う。

「過程は土台たる身体作り、結果は自信を与え心を刺激する。」