Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

可愛いという文化

日本では工業製品の神通力劣化が日々報道を賑わし続けるが、現状では為替等の影響が少なくないもののそれでも長らく続いた栄華はいつか衰退するものである。考えてみればかつてはアメリカのそれが世界を席巻してきた。その位置に次についたのが日本であり、アメリカは別分野に居場所を変える事となった。もちろん、日本がアメリカと同じように工業製品生産の地位を失うと決まったわけではない。新たな開発を続ければ相応の地位を維持し続けられるであろう。ただ、レベルの高い技術であってもいつかは追いつかれる。特に開発研究能力を現在の韓国や中国が仮につけたならば、優位性が大きく減退するのは間違いない。
アメリカは金融やサービスに大きくシフトした。日本はどんな形にシフトしていくことになるのだろうか。私は、アメリカやイギリスのような一極に集中したシステムではない方が良いのではないかと思う。すなわち、これまでの得意分野も残しつつなるべく幅広い強みを持っていくこと。突出した分野がないために一見すると衰退の道を歩むかのごとく感じられるかも知れないが、昔からモノカルチャーhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC)の脆弱性は幾度も語られてきた。

突出した分野があることは、急速な世界的な認知を受ける上では非常に有利である。韓国などはサムスンが実質的にその役割を果たしている。ただ、韓国のようにGDPの20%もの貿易をサムソンが占有しているなどと言う状態は異常なものである。モノカルチャーの極みと言っても良いが、サムソン転ければ皆転ける。要するに産業に遊びや余裕がないのである。
一方で、突出した分野がないことは稼ぎ頭がないと言えなくもないが、同時にあらゆる分野でそれなりに稼ぐという懐の深さがあることでもある。世界の文化や慣習は千差万別であり、商品やサービスを売り込もうとすれば相手のニーズや状況に応じてきめ細やかな対応が必要となる。理想を言えば、産業的には突出した分野が無くともこれら産業全体貫く文化的な認知があれば、大きなアドバンテージとなるだろう。ハリウッドは、その映画産業としての成功だけでなくアメリカの文化を世界に浸透させたという面での功績の方がおそらく高い。そして、中国や韓国が映画立国を目指すほど力を入れているのも、自らの文化を世界的に受け入れさせるためでもある。韓流というイメージ輸出も同じ流れの中にある。
ただ、文化というものはそうそう容易には広がるものではない。ハリウッドはアメリカの富と成功の夢と共に広がった。中国や韓国のそれは表面的には擬えているものの、そこに抱かせる夢や共感がそこまで強くないのだ。元々文化的に近い地域には一定の効果を発揮するだろうが、当面のところ西洋と東洋を繋ぐには至らないだろう。

さて、日本の文化はどうかと言えば少なくとも中国や韓国よりは世界的な広がりを見せる。一つには漫画やアニメという日本独特の文化に深みがあったことがある。さらにそれらを媒体として日本独特の感性が世界にも徐々に広がりつつある。
例えば、可愛い(kawaii)という言葉が世界でも徐々に受け入れられ始めている。もちろん、狭い意味でのそれは(prettyやcuty)世界共通だが広い意味でのそれは日本特有の感覚である。
少し前にも次のような動画が世界的に評価を得ていると記事が出た(ベジタリズム:http://www.youtube.com/watch?v=AKKT7zE_0Zg)。金環食を巡る子供の写真も人気を博したそうな(ロケットニュース:http://rocketnews24.com/2012/05/22/214312/)。日本の感性が徐々に世界に広まりつつあるのではないかと思う。

さて、日本のこの過敏なくらい反応する「可愛い」という感性は古くから続くものなのだろうか。あくまで個人レベルの経験によれば、数十年前には今ほどではなかったようにも思う。
これはあくまで根拠の薄い仮説に過ぎないのだが、この可愛いという感性が幅を利かせ始めたのは日本の少子化と関係があるのではないかと思ったりしている。少子化となれば子供の価値が社会的に向上する。逆に、戦争などで大人が減れば青年や壮年の価値が向上し、病気などで寿命が短い地域では長老の価値が向上する。
日本のそれは、急速に進行する少子化を個人個人ではなく社会総体の意識として受けたものではないかと感じるわけだ。これを実証するためには同じように急速に少子化が進んでいる国の傾向を見なければならないが、似た傾向の国として韓国は日本ほどではないようにも思うが正確には分からない。欧州も少子化の傾向があるが日本ほど急激ではないという部分も関連しそうである。あるいはその国特有の文化が強く縛ることもあるだろうから、少子化が絶対的な要因ではない可能性もある。
よってあくまで勝手な妄想にも近いだろうが、万が一にもそれが正しかったとすればこれから日本が生み出していく文化はおそらく世界でも受け入れられていくと思う。それは、世界も一部の地域での人口爆発はあるものの所得の高い地域では少子化傾向が続くだろう。要するに日本は世界の先端を走っている。その上で言える。文化は勝手に創っても容易に広がるものではない。その生活や思想や全てのものの延長線上にそれがあり、それ故にじわじわと広がりうるのである。そこにあるのは国家ではなく文化なのだ。国家は文化に付随する。
すなわち、これまでの広がりを担ってきた漫画やアニメもそれが日本だから売れたわけではなく、文化の一部として中身が売れてそこに日本というタグが付随しているに過ぎない。もちろん関係者達は必死になってそのタグを誇示するであろうが、その誇示自体にプラスの意味はほどんどないだろう。

さて、「可愛い」という一種幼児性を誇示するような文化が今後何処まで世界に受け入れられていくのかはまだまだわからない。ただ、世界中の先進国が少子化という状況に本格的に直面する時になれば、その答えは見えてくるかも知れない。

「『可愛い』は平和という前提を無しには強烈に主張し得ない文化でもあるだろう。」