Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

決めつけ

「決めつけ」という言葉にはどちらかと言えばネガティブなイメージがついて回るが、それは決めつけた内容が実は間違っていたという事例が多いことを私たちが感じているから、あるいは間違っていたケースのみが記憶に残るからではないかと感じている。
現実社会において、何かを決断するときに全ての状況が把握できており間違いない判断を下せることなど存在しない。仮に全ての状況が把握できているような状態であれば、確信犯でも持たない限り誰が決定しても同じ方針をとることになるだろうし、それ以前に全ての情報が把握できていることなど存在しないであろう。
多くの場合には、その確度に差異はあるものの決断の先に控えているものを完全には予測しきれない。それ故、どこかの時点で決断を下してすべきことを決める。その時には一定の「決めつけ」が実質的には行われる。「決めつけ」あるいは「みなし」などと言葉はいろいろと用いられるであろうが、実質的には不透明な未来を一定の予測の下で擬似的に確定したことにするわけだ。

似たようなことは、科学技術の世界でも研究過程における「推論」としてよく用いられる。それまでの様々な状況やケースなどを判断して、結果を予測する。もちろんその時点において結果に至る確実な証拠はまだ無い。これを「決めつけ」と呼ぶかどうかは人それぞれかも知れないが、そのように推論して実現(あるいは確認)すべく行動に移す。
これが政治や行政の世界などになれば問題は容易ではない。こちらの場合には科学技術のような真理を追究する目的ではなく、最適な配分を追求しようというものだからである。すなわち、同じ結論が出るとしてもそれを良しとする人とそうでない人が発生することになる。利害調整の困難さは誰もが知るところであろうが、それ故に政治や政策は決めきれないということになる、いや現状ではそうなっている。それ故に決める政治を標榜すればするほど、結果的には一定の「決めつけ」をしなければならなくなってしまう。誰もが満足する完全な決定などあり得ないのだから。

ここまでにおいて決断と決めつけを混同していると思われるかも知れないが、私はこの両者の言葉にニュアンスの違いと時系列的な前後関係はあっても決定的な差異はないのではないかと考える。強いていえば、「決断」は知った上でのことであり、「決めつけ」は気づかず(あるいはわざと)の場合がやや多く存在するという程度では無かろうか。もちろん「決断」においても知らずに決断することなどいくらでもあるので、この差が決定的とは思わない。いや、別の言い方をするならば「決めつけ」て「決断」するのである。
結局のところは様々な不確定要素は存在するものの、今後とるべき方針を何らかの形で定めること。それが決断であって、その決断により不利を被る側が「決めつけ」だとか「独断」だとか訴えるわけだ。

問題は、この「決めつけ」の程度にある。新たな手法を探るときに、まず決めつけてかかる方法は重要ではあるが、同時に変化する柔軟性を備えていなければ暴走を許してしまうという面であろう。一度決めたものを変えないと決意してしまえば、決断または決めつけが間違っていた場合に修正が効かくなってしまう。
その修正の可能性を少しでも減じるために事前の想定を広範囲かつ深く行う必要があるのだが、科学技術の場合と比較して政治の場合には利害調整も含めて容易ではないことは先に書いた。
何かを決断する場合には、「決めつける根拠が十分であるか?」が重要である事以上に、その下した「決めつけを覆せるか?」が重要となると考える。
ただ、社会における事例を見る限り、多くの場合は決めつけにおける根拠が不十分であり、同時に決めつけた内容に疑義が生じてもその決めつけを覆せないようだ。これは、人間の心理的な弱さをそのまま露呈している現象だとも感じている。

私が思うに、確信があれば決めつけて良いのだ。ただ、その確信が揺らぐとき(あるいは疑義を感じ取ったときに)には決断を柔軟に変更しなければならない。それが出来ないのであれば、むしろ決断する立場にいるべきではない。すなわち、最初の決断よりも変更する決断の方が重要であり価値があるのだと思う。もちろん、変えずにすめば問題はないだろう。ただ、複雑な社会において変更なしに先を見通すことの困難さは誰もが認めるところだと思う。
慧眼であることの困難さを誰もが知っているはずなのだが、社会は多くの場合最初の決断にこそ価値を見いだして柔軟に変える決断をあまり評価しない。事前の検討が不足と批判されるのは仕方がないが、変える決断(あるいは止める決断)は戦争における撤退と同じくらい勇気が必要で難しいものである。

「決めつけることは、必ずしも悪いことではない。それは物事を前に進めるために必要なステップであるから。ただ、その誤りに気づいたときにすぐに変えることが出来ないのが最も大きな罪である。」