Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

朝日新聞が反省すべき

ネット版の朝日新聞記事は原則有料となったので、社説なども時間が経てば見ることが出来なくなるので、一応結語の部分を一部を引用しておきたい(http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1)。
『 歴史認識尖閣といった問題で、日中双方がともに満足できる魔法の杖を見つけるのは至難のことだ。そうであるならば、日中の両国は友好と安定の大局を選ぶしかあるまい。』

そもそも日本政府見解も虐殺行為があったことは否定できないとしているものの、中国政府が発表しているような30万人などと言う馬鹿げた数字を全く肯定はしていない。私も残虐行為が全くなかったと言うつもりはないが、それでも軍が指揮して行われた統制が取れた大量虐殺行為などはなかったと考える。
もともと、従軍慰安婦についても南京大虐殺についても東京裁判時に今のような大問題になっていなかったものが、その後火を噴いたのは朝日新聞の報道による。仮にそれが歴史的事実だと証明できるものであれば英断であろうが、従軍慰安婦の場合でも明らかなようにその根拠とした人物が嘘をついていたことが明らかになった後でも、朝日新聞などはその報道を撤回せずに言い訳を続けている。

日中の地理的関係から、なんらかの妥協や交渉が常々必要なのは事実であろうが、朝日新聞が主張しているのは中国の無法な手法に日本が配慮すべきだという非常に偏った報道が中心である。もちろん、全く配慮が必要ないなどと言うつもりなどない。ただ、必要なのは日本にとってメリットのあるバランスであろう。
現状、戦後60年を経過して歴史的な問題など泥かけ論になるのは目に見えている。それでも歴史検証として地道な調査や研究を続けるのは重要ではあるが、それを政治的プロパガンダとして利用している中国や韓国の主張と、抑制的に接している日本の状況を対等だとして扱うこと自体が偏りを示している。

もちろん、日本が無謀な戦争に走ったことに対する反省は必要であろう。ただ、それは現在の戦争の「せ」も知らない世代に不当な負い目を追わせるものであってはならない。河村市長の言い方に問題もあるだろうが、本来の意味で対等に話ができるようにならなければならない。
その意味で、自らのこれまでしてきた報道を立ち位置にして、これからの時代を生きていく日本人達に負い目を追わせるような状況を作り出す朝日新聞の報道こそが反省されなければならないと思う。戦後の日本の行動が信じられないのだろうか?敗戦にかこつけて行われた欺瞞はそろそろ検証されて然るべきなのだ。
魔法の杖がないからこそ、卑屈になることなく対等に議論しなければならない。その対等さを最初から抑え込むような主張を繰り返してはならない。反省は反省であって、それが過度に今後の行動を拘束してはできることもできなくなるのだから。

(追記)
どちらかと言えば、挑発的な態度を取っているのは中国や韓国の側であろう。日本側とすれば、抑制的に接することが良いのは間違いない。ただ、抑制的にするのは態度であって主張内容ではない。そのことが最も重要である。

「外交において自らタブーを作ってはいけない。」