Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

東大の秋入学を考える

東大が欧米と歩調を合わせようと、秋入学を検討していることが公表された。多くのメディアは好意的に評価している感じである。それに触発される形で、次々と検討する大学が増えているらしい。私個人としては、春入学であろうが秋入学であろうが正直どちらでもよい。ただ、当然のことながらそこにはメリットとデメリットの両方が存在する。過去にも日本は秋入学を試みたことがあり(明治時代)、実際にはそのチャレンジは短期間で潰えることとなった。過去と今は時代背景も異なるのは間違いないが、やはり似たような内容が社会的には存在するのではないか。日本文化としての4月始まりは容易に変更できるものではない。少なくとも、東日本西日本の周波数問題以上に難しいと感じられる。

大学が秋入学を目指すと言うことは、日本の文化に合わせることよりも大学本来の研究機能を高めようという意図があるのは理解できる。ただし、日本の大学に入学する大部分の学生は日本文化の中で生きていくのであって、それは海外よりよりレベルの高い技術者を引き入れるための可能性を高めるというものであると考えられる。
ただし、教師陣あるいは研究者を引き入れるとすれば別に秋入学にする必要性は高くない。結局入学時期を変更すると言うことは、海外よりレベルの高い学生を引き入れようと言うことである。確かに能力の高い学生を呼び込むことは重要であるのも間違いない。日本の研究レベルの向上に寄与するのも確かだろう。ただ、レベルの高い学生の入学が直接研究レベルを向上させるというわけでもない。

大学のレベルは、基本的に研究成果の高さ、独自性、オリジナリティで評価されるべきだと思う。現状、日本の大学の世界的なランキングが落ちていると言われるが、これは大学ランキングの指標が以下のような分類により評価されていることによる。
1)Teaching(教育)・・・学習環境(30%)
2)International outlook(国際観)・・・職員、学生、研究(7.5%)
3)Industry income(産業収入)・・・技術革新(2.5%)
4)Research(研究)・・・量、収入、評判(30%)
5)Citations(引用)・・・研究の影響力(30%)

2011年の大学ランキングにおける1位のカリフォルニア工科大学の各スコアは以下のようになっている(参考 MEMORVA:http://memorva.jp/ranking/world/the_world_university_rankings_2011-2012.php)。
1)Teaching:95.7
2)International outlook:56.0
3)Industry income:97.0
4)Research:98.2
5)Citations:99.9

一方で、東京大学の各スコアは以下である。
1)Teaching:86.1
2)International outlook:23.0
3)Industry income:76.6
4)Research:80.3
5)Citations:69.1

全ての面で東京大学が下回っているのは確かであるが、もし仮にこのランキングを向上させるために海外に門戸を大きく開くことを企図しているのだとすれば問題があるようにも思う。それは、日本の大学として日本社会に寄与する部分としわ寄せを与える部分の収支がよく見えないからである。
それは、大学としての研究機能を向上させるという根本的な部分が困難だから、比較的容易に評価に反映できるところに動いているとすればと言う仮定の下ではあるのだが。
ただ、本当目目指すべきものは研究レベルや体制の向上の方がずっと重要であると私は思う。それ故に、秋入学という面のみがクローズアップされる現状には可笑しさというか、本質とは外れた議論ではないかという面が感じられて仕方がない。
そもそも、海外のレベルの高い留学生を引き入れるという意味でも大学生に主眼を置くか、大学院生に主眼を置くかは考えるべきではないかと思う。要するに秋入学は大学院に限るという選択肢もあると思うのだ。大学の頭脳をより高めたいなら、大学院のみをもっと高度化することを考えてはどうだろうか。その上で、例えば博士課程に進むためには最低でも3年くらいの大学外での社会経験を義務づけるとか(一部の研究では特例措置も必要だろうが、それ故に全体下形骸化するのは怖い)も考えられる。

その上で私の勝手な思い込みではあるだろうが、東大がこのような秋入学を大々的に公表するところを見ると、東京大学というステイタスの確認というか、自らの影響力を確かめるために行動しているようにも感じられてしまうのが気持ち悪い。もちろん、意識してそんなことをしているわけではないのだろうが、評価を意識しすぎるが故に本質を置き忘れつつあるのではないかと懸念を感じるのである。

どちらにしても、教育の場所であり研究の要でもある大学のレベルが向上することには異存はない。ただ、それは文化面との折り合いをどうつけるのかはまだまだ問題があるようにも感じる。

「大学のレベル向上は当然高校教育の向上から始まるべきであるが、それは国内問題である。」