Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

醤油の話

「目玉焼きに何をかけて食べるか?」と問われれば、実のところウスターソースをかける派ではあるのだが、それでもたまには醤油について書いてみたい。
食卓調味料としてだけでなく、日本料理の味付けに最大限有効に活用されているのが醤油である。
どちらかと言えば、日本料理には欠くことのできない調味料と言っても良い。
醤油(wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%A4%E6%B2%B9

ただし、醤油とは言っても世界中には同様の発酵形調味料は数多く存在する。
そのため、日本の醤油は日本醤油というオリジナルな存在と言っても良い。
醤油の起源自体について言えば、紀元前から既に文献に記述が見られる。もちろん、現代日本における醤油とは明らかに異なるものではあるが、大豆を原料とした発酵調味料として前漢時代から存在しているようだ。発酵調味料としては、大豆などの植物系のものと、魚などを発酵させた魚醤と呼ばれるものが存在する。
魚醤は日本でも「しょっつる(塩汁)」などと呼ばれて存在する。特に東南アジアに種類が豊富である。
大きな流れとしては、動物性(動物や魚の肉を発酵させたもの)から植物性(穀物などを発酵させたもの)に変わっていったという経緯を経ている。これらは、食品を塩漬けして発酵させたものであり、なれ鮨や漬け物もこれらの一種である。醤(ひしお)という記述は700年頃の日本で既に用いられている。

中国で用いられる醤油は、日本でも豆醤(まめびしお)と呼ばれるように様々な豆を原料として作られるものである。有名なものとしてはソラ豆を原料とした豆板醤などがよく知られているが、全体としては液体ではなく豆そのものの発酵物をそのまま使用することが多い。よって、液体と言うよりは半固形物のそれを指す。
日本の醤油の起源については様々な説があるが、最も有名なものとしては紀伊由良(現在の和歌山県日高郡)にある興国寺が起源とされる説が有力である。当地は、金山寺味噌の生産地としても有名である。
金山寺味噌wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B1%B1%E5%AF%BA%E5%91%B3%E5%99%8C

金山寺味噌は、中国から持ち込んだ径山寺味噌の製造を、興国寺の近くにあった湯浅(現在の和歌山県有田郡湯浅町)に伝えたとされている。これは一般的な味噌のように調味料として用いるものではなく、そのまま食する味噌である。
この金山寺味噌の仕込みの時に製造ミスによりたまり醤油が偶然出来上がったという説が一般的にである。
それ故、現在も興国寺の門前に存在する檜屋の天狗醤油はよく知られている(天狗醤油:http://web.wakkun.or.jp/01162.htm)。昔ながらの製法で作られているため、2年ものの醤油などはかなりどろっとした感触ではあるがその深みはかなり良い。個人的には冷や奴にかけるには最適だと思っている。
同時に、湯浅町は醤油発祥の地として数多くの醤油メーカーが現在も存在する。

ただし、現在の醤油生産は主に千葉県(野田市銚子市)や兵庫県たつの市香川県小豆島などが主体である。
千葉県にはキッコーマン(亀甲萬)、ヤマサなどがあり、兵庫県にはヒガシマルなどのメーカーが存在する。
ヤマサ醤油の発祥は上記の和歌山県湯浅町であるが、その後江戸で大きく発展を遂げた。
キッコーマンは大正時代にスタートしたメーカーであるが、最も醤油の世界展開に積極的なメーカーでもある。
ヒガシマル醤油も江戸時代スタートのメーカーであるが、関西で主流の薄口醤油で有名であると共に、うどんスープなどの粉末調味料などに強みを有している。

醤油の地域的な違いとしては、東日本の濃口醤油に対して西日本の薄口醤油と言われるように、その食文化における違いは結構大きい。ただ、東日本は醤油系調味料としてほぼ濃口醤油しか用いられないが、西日本では濃口も淡口もケースに応じて使い分けるという違いがある。
ただし、地域の中小醤油メーカーは減少傾向はあるもののまだ多く存在しており、近年でも1500社程度はあるようだ。地域伝統としての存続だけでなく、地ビールや日本酒などと同じように地域ブランドを掲げた販売の拡大に期待したい。特に、近年では日本の醤油もかなり国際的になっており、調味料としての輸出には可能性があるようにも思える。

「地醤油ブームもいいかもしれない。」