Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

疑似科学

疑似科学という言葉を知っている人も多いであろう。
しかし、これら疑似科学は否定されても否定されても姿形を変えながら生き続けている。
なぜ疑似科学は社会に生きる場所を見付けられるのか。
そして、人々はそれを信じてしまうのだろうか?
疑似科学wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%91%E4%BC%BC%E7%A7%91%E5%AD%A6

疑似科学と言われるものには2種類あると私は考えている。
一つは、明らかな詐欺である。
そしてもう一つは、証明し得ないことを大きく取り上げるものだ。

まず前者としてよく見られるパターンは永久機関である。
永久機関とは、外からエネルギーを与えなくても永久に動き続ける機会のことであるが、エネルギー保存則を考えれば当然ありえないものである。世の中に出回る疑似科学は、言葉上では永久機関などとは謳いはしない。しかし、革新的技術などと宣伝する中身をよくよく見れば、実質的に科学の基本を満足しない「永久機関」であったりするわけだ。
眉唾な技術であっても、様々な飾り立てをすれば見事な革新的技術のように見える。
それは詐欺なのだが、誰もが夢や利益を頭に描き騙されてしまう。

この詐欺は、それが完成を迎えると必ず嘘が露呈する。
そのため、決して完成品は作られることはない。
要するに、研究費という名目で出資や補助金を得るものだ。
だから、夢や期待を振りまきこそすれど決して完成することのない技術でもある。
もう少し、もう少しと資金を集め続ける仕組みである。
非常におかしな話だと思うが行政の研究開発資金でさえ、こうした詐欺まがいの方法に投入されている事例もあるのだ。

後者は、スピリチュアルな雰囲気というか科学の限界をあざ笑うようなものである。
人が神秘的なものに惹かれる心理を利用したものと言って良い。あるいは、楽にそうありたいと願う欲求につけ込んだものであったりもする。
その多くは健康食品などの、比較的安価でかつ大量に売れるもので実現される。
多くの場合は、TVなどを利用したブームとの連携が顕著だ。
効果がどの程度あるのかが論理的に検証されないままに、イメージ操作が行われるのがパターンである。
こうした問題について、大阪大学の菊地教授が様々な検証などを行っている。
wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E8%AA%A0_%28%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A4%A7%E5%AD%A6%29

これらは、詐欺と言えるほどの明確なものではない。プラシーボ効果などの影響もあってか、それなりの効能を示す事例が間違いなく存在するという点も大きいだろう。実際、効果があった人たちにおいては意義のあるものでもある。
ただ、それが万人に効果があるかどうかを問われれば、それを証明するだけの材料は提示されていない。
プラシーボ効果について:http://www.page.sannet.ne.jp/onai/Healthinfo/Pracebo.html
上述の菊地教授やお茶の水女子大学の冨永教授(現在は退官:http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/atom11archive/index.html)などは、各種の水の商売については鋭く批判している(クラスター水、水素水、高酸素水、など様々なものが有害情報として注意喚起されている)。
こうした、疑似科学については大手メーカーですら利用している。
例えば、大手メーカーがこぞってエアコンなどの効能として謳ったマイナスイオンなどもあるが、その定義ですら明確にされていないし効果も定量的には実証されていない。

そして、最も判断が難しいのが科学の延長線上でひょっとすれば画期的かもしれないものもある。
それは画期的な新発見でもあるかもしれないし、あるいは大きな誤りかもしれない。そうした科学があることも事実である。このあたりのもののについては、私などの知識レベルではなんとも言い難い。
具体例を言えば、「常温核融合」と呼ばれるものがある。
wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E6%B8%A9%E6%A0%B8%E8%9E%8D%E5%90%88
実際に世界中の大学で研究が行われており、国際会議すら開催されている。
ただ、大部分の科学者からはその信頼性に疑問が呈されているのも事実だ。

分野は異なるが、千島学説というものもある。
wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%B3%B6%E5%AD%A6%E8%AA%AC
内容としては非常に独創性に富んだものであって、興味はそそられる。
例えば、血液は骨髄ではなく小腸の鞭毛で作られるとしている。
あるいは、体細胞が赤血球に変質するなどの考えが提示されている。
もしそれが事実ならば、基本と考えられてきた科学的事実すら間違いであることになる。
これについても、私は判断できるような知識も見地も持ち合わせてはいない。

それを基に商売を目論んでいるわけではない(学術的権威は関係しているだろうが)だけに、ニセ科学と決めつけきれない難しさがあると言えるだろう。ただ、疑わしいという面は排除し切れていない。
ただ、研究として行われるのであれば仮に本物でなかったとしても全て排除されるべきではないと思う。
科学とは、その可能性を追求するという本質を持っており、またこうした試行錯誤の結果として積み上げられてくるものだからである。

ただ、疑似科学というものが私達の生活のほんの近くまで広がっていることについては、少なくとも知っておいた方が良いだろう。

疑似科学は奇跡を求めるという意味で一種の宗教かもしれない。ただ、奇跡はそれが実現しない故に奇跡であるのだが。」