Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

東電のリストラは必要か?

東電に関する経営・財務調査委員会は、東電グループで社員の14%におよぶ7400人のリストラを要求する報告書をまとめたと報道されている。
別の意見とは東電を破綻処理させるという意見も未だ根強くある。

しかし、あくまで個人的な意見として言わせて貰えば、その両者とも日本という国全体を考えた場合に本当に良い効果をあげるかどうかは疑問だ。

それでは、東電を救済するのがよいのか?
救済か破綻かという二極論的なものの考え方は、わかりやすいがベストシナリオではない。
まず、東電破綻処理について言えば、社債及び株式保有者にも応分の責任を取らせるという考え方だ。
これにも一理あるのは認める。

さて、一度論点を整理してみよう。

まずは、今回の震災から派生した原子力被害について。
責任を負うべき存在は二者ある。
「東電」と「政府」である。
その責任割合については議論もあるだろうが、両者に責任があるということへの異論はあるまい。
原子力行政は、政府と電力会社が両輪となって進めてきたものであり、運転稼働についての一次的な責任は東電が負うがその安全監視は政府の役目であった。
だとすれば、大前提として保証については政府と東電が折半すべきものである。
今その議論はされているのか?
東電の肩を持つつもりなどさらさら無いが、現状ではその全てを東電が負うがごとき報道が中心だ。
政府は東電が追いきれない分を保証するというイメージに近い。

しかし、まず責任は東電と政府が負わなければならない。
その上で、東電分担分も保証しきれない場合にそこに関しての問題を考えるべきである。
最終的には政府が尻ぬぐいをすることになるのは同じだが、道義的には大いに異なる。
現状は、責めやすい東電を人身御供にして政府責任を回避している状況が透けて見える。
政府責任とは何か?
原子力行政に関わってきた責任者の追求である。その人達が立場に応じた責任を取っているのか?
寡聞にしてまだそんな話を聞いたことがない。

さて、その上で次に考えるべきことが東電の処理をどうするかになる。
政府と責任の分担をしたとしても、おそらく東電は補償を費用を払い切れまい。
だから破綻処理をすると言うのはたやすくわかりやすい。
破綻処理をした場合のメリットは、経営者責任及び株主責任・債権者責任を問えることにある。
他方で言えば、処理後の保証は結局政府が負うと言うことでは破綻が無くとも同じであろう。
さて、株式について言えば既に株価は暴落しており、額面を割っている。
だから、今後それがゼロになることでの損失以上に既に株主の多くは責任を負っている(株価の下落で)。
問題は社債保有者であろう。
さて、東電の社債の持ち主は誰なのか?
おそらく個人もいるであろうが、多くは銀行・生保などの金融機関である。
遡れば最終的には国民の資産である。

私は、上述の通り今回の事故は政府と東電の複合責任であると考えているので、社債についても政府責任分について言えば債権者に政府が保証すべきではないかと考えている。
逆に言えば、東電責任分については当然債権者が負うのはやむを得ない。
単純に、全ての債権を放棄させるというのは銀行や生命保険の体力を大きく削ぐことにもつながるので、世界的な金融危機が叫ばれる現在を考えたとき、容易に推し進めていい話ではないと考える。

さて、東電が追うべき責任が問題となる。
金銭的には資産売却だけでは保証しきれないのは間違いない。
もちろん、近々に必要性の低い資産の売却は当然である。
次に経営者責任も当然追求されなければならないし、直接関わっていなくても企業責任としての職員給与の引き下げも必要だろう。そのことに異論はない。
その上で、私は役員報酬は3年間ゼロとする。程度の経営者責任は問われるべきだと考える。現状はおそらく生ぬるい。その上で、企業経営者としてすべきことを最大限行うのが責任の取り方であろう。これは政府責任者についても言える。もちろん、そこには裁判の被告となるという最終的なそれもあるかもしれない。
倒産受け皿による別企業参入も考えられなくはないが、貴重な首都圏の電力供給を責任持って任せられる受け皿企業がそう易々と現れるとも思えない。結果的にトップのクビのすげ替えのみになるのであれば、原発被害について責任感を感じないトップが新たに就くのとどちらが良いかという問題となる。

次にリストラである。これは経済が平常時であれば良い手法の一つかもしれない。
しかし、ただでさえ国内景気は低迷しており、多くのリストラを輩出すると言うことはそれに輪をかける。
本当に必要なのは、総人件費の抑制であってリストラではない。
さらに言えば、原発事故により懲罰的な責め苦を受けるのが一般職員や関連企業職員であるというのは、おかしな話ではないだろうか?加えて、人員減は安全管理のレベル低下を導かないかという問題も気になるところだ。
それよりは、そのリストラに相当する全体給与の切り下げの方がマシだと思う。
国家公務員給与の削減でも見られたように役職ごとに切り下げレベルを変えればよい。
さらに言えば、それは無期限ではなく一定の期限を設けるべきである。それは職員モチベーションの保持にも関わる。それは先ほど示した役員報酬と同じように3年程度の期限を切るのが望ましい。

現在、社会は大企業や公務員などの一定以上の給与を取れる人たちと、定職をもてないあるいは極端に安い給与鹿得られない人たちに二極化している。それを助長することが、日本経済にとって良いこととは思わない。

東電に与えられるのは、東電が分担すべき保証を引き受けきれないのであれば、結局のところ懲罰的な措置にならざるを得ない。だとすれば、その懲罰をもって心理的な代償を目指すのではなく、社会や経済への実質的なインパクトをいかに抑えるかが議論されてしかるべきだと思うのだがどうだろう?

「人々は得てして胸のすく何かを期待するが、それは一次的な代償に過ぎない。」