Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

一対一の関係は本能ではなく、社会システム

男性が浮気をするのは、ある意味本能的な行動であると私は思う。
別に浮気を擁護・奨励しようと言うつもりはないが、浮気という行動を考える上で、まずは浮気は何に違反しているのかを考えなければならないであろう。

男女が一人ずつであるというのは、原則のように見えて原則ではない。
現状でも一夫多妻制の国は存在するし、日本においても似たような状況は歴史的にいくらでもある。
現在の民主主義においては一夫一妻制度が当然のこととして制度にも組み込まれているが、これ自身は社会としての取り決めである。

なぜそのような取り決めが必要なのか?
私は、おそらく民主主義の根幹たる平等の概念が求めたものではないかと考える。

では、一夫多妻制はなぜ存在し得るのか?
推測に過ぎないのだが、自然気候が厳しい地域、あるいは戦乱などで人々が生きて行くに困難の多い地域。そうした場所では、子孫を守るために一歩多妻制の方が優れていたからではないだろうか。
一夫多妻制と言うことは、その一夫たる男性は相応の財力と権力がなければそれを維持できない。
財力と権力は混乱の世の中を生きていくためにはかなり重要な要素である。すなわち動乱を生き抜く力でもある。
結果的に、自己の子孫を残したい女性達は、その能力の高い男性に集まるという仕組みなのだと思う。

ちなみに、一夫多妻制というのは男性の夢のようにも語られるが、実質的には男性に厳しいシステムである。というのも、能力のある男性が多くの女性を集めると言うことは、逆に言えば多くの男性は伴侶すら得られずに一生を終えると言うことでもある。そして、女性達は安定した生活を保証される(その程度では満足できないという意見もあるだろうが)。

だから、平等の概念の下に一夫一妻制が原則とされたのは、ある意味あまたの男性の救済でもあるのだ。
では、なぜ民主主義において一夫一妻制が原則とされたのか?この点については、正直なところ私の知識は十分なものではない。あくまで推測としての意見なのだが。。。
貴族社会などの階級制が否定される段階で、その付属物としての一夫多妻制(あるいは、多くの側室を囲うシステム)そのものが旧来の悪として否定されたのではないかなどと勘ぐっている。
あるいは、階級制が建前上流動化した(固定化が非常に弱まった)結果として、一代限りかもしれない権力に多くの子孫を託すことに対する懸念が強まったのかもしれない。

もっとも、現状の社会システムにおいて一夫一妻制がまずいという状況ではないので、それを否定する気など私にはさらさら無い。一部の成功者などは一夫多妻制を絶賛しているなどの話も聞くが、それは逆に階級制の復活にもつながりかねないと思うし、実質的には恋愛レベルであればいくら奔放であっても倫理的な非難こそあれど犯罪としては扱われないのだから、あまり意味のある話ではない。

とりあえず、一夫一妻制は安定した時代における安定した社会システムなんだろうと思う。
だから、浮気というのはそうしたシステムに対する反逆なのだ。
システムは法律ではない。
ただ、システムの安定を乱すものはシステムによって排除される。
それが浮気というものに対する実質的な罰則なのだろう。

時代によって違うと思うが、浮気が許容されやすい社会というのは、実のところ人々が心理面で時代が大きく動き始めると感じている結果として現れるのかもしれない。

「常識は安定した社会における規範である。それは不安定な社会においては規範であり続けるとは限らない。」