Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

先送りはいつまで可能か

世界の金融市場の動揺はなかなか納まる気配はない。
誰もがそれを望まない中で、それでも落ち着けない理由は明快である。
それは結局のところ痛みを先送りし続けているということであろう。

かつてバブル崩壊後の日本は欧米からの厳しい追及にさらされた。
痛みを負いたくないのは誰もが同じである。日本の金融機関は多大な不良債権が存在しているのは理解していても、再び担保価値が上昇することを夢見てその処理には足踏みをしていた。
日本政府も、その処理が日本経済並びに財政に多大な犠牲を払うことであるため、出来る限りそれを緩やかに進めようと考えていた。
しかし、その姿勢にNOを突きつけたのは欧米政府である。

早急な不良債権の処理。それが日本に対する苛烈な要求となった。
もちろん、いつまでも不良債権を処理しないことはやはりよくない。社会・経済に停滞を招くからである。しかし、急いでそれをすることも社会には大きな負荷をかける。
最終的には、小泉改革というブームを利用してそれは成し遂げられた。

今、欧州は非常に似た状況にある。不良債権を抱えているのはPIIGSと呼ばれる国々。金融関連の損失や不動産バブルの崩壊が現状を引き起こしている。その結果、これらの国々の金融機関が多大な不良債権を抱えるに至った。これを市場原理に従い金融機関をそのまま倒産させればあくまで民間経済の混乱である。
ただ、自国の経済が大きく乱れるのを畏れた政府が金融機関の抱えた債務を実質的に保証してしまった。
あるいはギリシャのように国自体が諸外国から借金をして、その金を自国の未来への投資ではなく年金や給与などに回してしまった。その構図はいつかは返済が出来なくなる無責任な借金構造である。

どちらにしても、PIIGS諸国は国家が他国(他国の金融機関)に対する大きな負債を抱えたのだ。それが焦げ付くのを畏れたECB(欧州中央銀行)はこれらの国々の国債を買うことで支援を試みた。
それは、結局のところ問題の先送りである。既に実質的に破綻した構図をなるべく先送りする。その間に少しずつ処理をする。それは、バブル崩壊後の日本がやろうとしていたのと同じである。
日本の場合には欧米からの圧力で、不良債権処理が強行された。強行にも関わらず日本社会が不安定化しなかったのは、ある意味日本社会の強さを示しているのだとも思う。

今、欧州が過去の自分の言動さえ顧みずに不良債権処理を先送りする理由は、かつてのバブル崩壊処理をした日本と比べても損失の規模が大きいこともあるが、それ以上に痛みに対する社会の抵抗力が日本と比べて小さいことがあるのかもしれない。

先送りというのは言い換えれば現状維持である。現状維持のコストは比較的余裕のある国が負担する。それが欧州においてはドイツであったり北欧の国々となる。しかし、これらの国々もPIIGSのケツ持ちを最後までするつもりは現状においてはない。
だから、ユーロ債の導入もPIIGS諸国のデフォルトも進まない。現状では、神頼みのように少しでも問題がすぐには生じないような手立てが議論されているに過ぎないのだが、その議論は負担の押し付け合いでもある。

結局のところ、どの国にしても自国社会に対する痛みを被りたくないということに尽きる。抜本的な不良債権処理は、回復への時間を短縮するがそれに応じた痛みを社会に与え、それに応じた社会の体力を奪う。日本の場合でさえ処理後も10年近い時間が必要であった。いや、今もそのトラウマにより積極的な動きを政府や日銀が取れないでいる。

欧州における先送りがいつまで可能かは、どの程度の痛みを欧州経済が覚悟するかにより決まる。そして、先送りを続ければ続けるほど社会は疲弊し、政治的・社会的な混乱が深くなる。
近頃、アメリカや欧州では「日本病」という言葉がよく用いられるようになってきた。経済の成長が出来ずに長期低迷に陥っている今の日本を示す言葉である。
そこには陥らないという教訓として出た言葉であろうが、アメリカは確実にそのあとを追いつつあるし、欧州はそれよりも険しい道に入らなければならないかもしれない。
ただ、日本の場合は外圧によるとはしてもバブルによって生じた金融機関の不良債権は既に処理を行った。それすらまだ出来ていない欧州としては日本病に陥ると言うよりは、ユーロ病に陥っていると評した方が適切かもしれない。

「現状のもっとも大きな問題は、肥大しすぎた金融システムではないか。世界中で動かされる実態のないお金は3京円とも言われる。それが世界の成長を牽引したが、後始末は容易ではない。」