Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

マニフェストという契約を盾に取る

民主党代表戦が俄然熱を帯びてきた。
もっともそれは当人達(マスコミを含む)にとってであって、世間はといえば誰がなっても変わらないと感じ醒めていると感じる。

当初は、野田財務大臣がかなり有力な候補として取り上げられていた。
ところが、前原前外務大臣の出馬により一気に形勢は変わる。前原氏は過去幾度かの失態にもかかわらず未だに国民における支持率は高い。
比較的近い議員の支持を得ていた野田氏とすれば、「今更何を」という感じではあるだろうが、これも政治の常。
しかし、この動きに小沢氏が待ったをかけた。前原氏との連携を否定して海江田経済産業大臣の支持を決めたのだ。

民主党の代表選挙は、通常国会議員投票と党員・サポーターの投票によって決まる。しかし、今回の代表選挙については党員資格停止中の議員を除く398人の国会議員のみの投票とされている。(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110827-OYT1T00250.htm?from=main2)。
任期中の代表選挙は両議員総会により選ぶことが出来るとされていることから、党員やサポーターの投票はない(現実にそれを行っている時間も取れないだろう)。

5人という過去最大の立候補者があり、票の食い合いになることが想定されている。もっとも、最大派閥の小沢派は120票近い数字を有しているので、その支持を受けた海江田氏は党員・サポーター票がない以上有利であるのは間違いないであろう。過半数は200(199)票だから、鳩山派の30票近くを加えるとかなりそれに近づく。

ただ、全体的に見れば対立構造は明確である。
親小沢・鳩山の候補者が
 海江田、鹿野、馬淵
反小沢の候補者が
 前原、野田
という構図である。

投票は、第一回目の投票で過半数の候補者がいればそれで決定、過半数に達しなければ1,2位による決選投票となる。
それぞれが20名以上の推薦人を集めているため、最初の投票では過半数を得られないケースも十分に考えられる。

問題は、これもマスコミが報じているが代表選挙の争点が今ひとつ見えていないことであろう。
小沢氏と鳩山氏の意見は、マニフェスト厳守である。しかし、今回の候補者でそれに言及しているものはいない。どちらかと言えば、マニフェスト見直しは当然という雰囲気の方が強い。実際、立候補者の全てが現閣僚か少し前まで閣僚だった者たちなのだから、そうなるのも当然かもしれない。

マニフェスト厳守が候補者達の意見ではないとすれば、結果的にマニフェストは小沢氏にどれだけすり寄るのかという踏み絵のような存在になっている。

では、マニフェストは堅持すべきなのか?
実を言えばここに関してすっきりした意見を聞いたことはない。
私個人としては、マニフェストはそれほど効果的ではないが、日本経済の底入れのためにはあってもよい。。。という認識だ。
ばらまくのであれば、経済波及効果においてもっと効果的な場所に使うべきである。その意味では現状のマニフェストは中途半端すぎる。

さらに、財源論を無視してばらまき内容だけ言い続けることも無責任である。小鳩系列の議員たちはいくらでも出てくると豪語してきたが、それをどのように捻出するのかについて納得できるほど具体性のある話を未だに聞いたことはない。それが明示できなければ、もはや誰も信じないのではないか?

実際、日銀が紙幣刷ってを国に渡すだけで財源は出てくる。もちろんインフレリスクはあるものの、現状のデフレ状況下であればインフレがすぐに顕在化するものでもない。ところが、そんな話すら聞こえてこない。では、埋蔵金はどこにあるというのか?

マニフェストの主要部分は、お金が出てくるという前提でのものであった。ところが、出てくるという声は威勢が良いが、鳩山政権時には出てこなかった。小沢氏も当時幹事長であった。でも、その時に何が生み出せたのか。その後もお金を継続的に引き出すための説得力ある方策は一向に聞こえてこない(一時的なものは少し出ている)。

だとすれば、マニフェストとは一体何だったのか?
そして、それにこだわり続けるのは何のためなのか?

現状、国民との契約だと言い放ったマニフェストは、国民から信頼されないものとなった。契約は相互の了解の下に成立する。売買行為などの場合は一度行った契約は取り消すことは容易ではないが、政治的な約束の場合には国民の考えが変われば改めることができる。
ところが、過去に誇大な広告を行って契約したマニフェストを、未だに有効なものとして声高に言い続けている。

今知りたいのは、国民が契約の前提条件に嘘があったかもしれないと疑念を抱いている現状において、その契約を未だに盾に取る行為は何のために行われているのか、、、ということである。

今回の民主党選挙は、脱小沢なのか、そうでないのかが結局のところ問われる状況になっている(前原-小沢の融和が成り立たなかった時点でそうなった)。小沢氏が今もマニフェスト堅持を強く主張している以上は他の多くの争点もあるだろうが、この点がもっとも大きな論点であると感じる。それは、党内緊張を続けることで結果的に存在感を今後も維持し続けるための小沢氏の戦略なんだと思う。マニフェストは、そのものに意味があるのではなく踏み絵として利用されているのであろう。

だとすれば、なんと軽いマニフェストなんだろうか。
まだ、マニフェスト見直しを正直に言う方が国民に対しては誠実だと感じる。

「政治家に二言がないと言い切れるのは、それが実現すると国民に信じさせた時のみである。」