Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

脱原発と総理の資質

もう、退陣が時間の問題の総理を取り上げても意味ないかもしれないが、、、少し考えてみたい。

脱原発について、批判を浴びたが菅総理の言っていることがまるっきり戯言なのかと言えばそうではない。
そこに至る工程さえ、きちんと提示できれば意味のあるものである。

しかし、一方でそれを支持できないと思う人が多かった理由は明白だ。
彼にはそこに至る工程を作れない。

考えてみてほしい。
東日本大震災を受けた日本は、本来原子力の未来よりも復興の方がまず優先されるべきことである。もちろん、復興は一定のルーチンによってある程度は進む。問題は、それをよりスピーディーにかつ効率的に行うためには、政治的にも行政的にも様々な知恵と決断が必要である。
そして、それが遅々として進まなかった。

なぜか?

それは、復興の未来などを問いかけるいわゆる「目標」を語ることには熱心だが、それをどのように進めるかという「工程」に関しては、菅総理は全く関心がなかったことであろう。

それは、原子力災害についても同じ。現状は、未だ原発の行き先が明確に見えているわけではない段階である。
もちろん、未来を考えるなと言う意味ではない。語るなと言うことでもない。
必要なのは、注ぐ力のウエイト(割合)。
現状の問題打破に70〜80%の力を注ぎ込み、そして残りの20%で未来を見据えた構想を練るというのが妥当なレベルだったと思う。

で、菅総理がやってきたのはウエイトがまるっきり逆。
未来の夢しか語らない。
現状の処理も、夢に至る工程も、彼の頭の中にはほとんどなかった。あるいはあっても具体的な状態にまで煮詰められなかった。

一政治家なら、あるいは単なる活動家なら夢が主体でも良いだろう。
しかし、日本という国の総理大臣が夢「しか」語れなくて、何が進むというのだ?


それでも、心地よい夢を期待する国民は常に幾ばくかは存在する。
何度騙されても、次こそはと。。。

問題なのは、夢に至る工程を作ることは夢を想像するのに必要な労力の何百倍も何千倍も力が必要なことである。その労力からは逃げて、簡単な夢の提示にのみ力を注ぐ。
夢はもちろん大切である。
しかし、総理大臣が語る夢は実現の方策が伴わなければならない。
それが付随しない夢は、単なる絵空事でしかない。

要するに、常に責任を口にする総理は実のところ全く無責任だと言うことに過ぎない。そう考えれば、非常に単純な構図だ。
そして、それは民主党2代の総理に共通のことでもある。

「夢とは叶う可能性がなければ嘘である。」