Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

次の戦争

 一部に、世界情勢は戦前の様子を呈し始めたとのネット上の意見を見かける。だが、私は既に現状は戦前どころか臨戦態勢に差し掛かりつつあると個人的に考えている。もちろんここで言うのはその全てが軍隊同士の攻撃を伴う意味での戦争ではなく、多くの人も聞いたことがあるようにサイバー戦から経済戦まで、武力以外の面を賭けた前哨戦のことを意味している。そして、本格的な戦争とはまだ呼べないレベルであれば既に世界各地で火花が散っている。
 むしろ武力中心の旧来的な紛争であるイラクやシリア付近のISを巡る争いの方が、今の時代の戦争としては特殊な存在であると考えた方がよい。また、非対称戦の典型であり欧米を震撼させているテロは、新しい時代の戦争の一つの類型と言っても良いのではないか。

 そもそも、我々が戦争と認識する姿や定義は過去の事例から来るものだが、その発生を望むものではないものの、仮定として考え得る次の戦争がかつてと同じような形態をとる保証はどこにもない。むしろ、過去のエントリにも書いたと思うが、武力抗争は戦争の主ではなく一部にすぎないと考えた方が良い。実は、過去の戦争においても情報戦により選挙区を有利にするなど、従属的な形ではあるもののその片鱗は確認できる。だが、これからの時代の戦争はお互いに同じ舞台で力比べをする公平な争いではなく、むしろ非対称な舞台での総合戦になると考えるべきであろう。同じ土俵で相手を打ち負かすという、あたかもヒーローコミックの様なわかりやすい勝利を目指すものとはならないと考えている。
 もっとも、経済戦争とは言っても外交舞台や経済的な交渉の全てを戦争と呼ぶのは正しくない。おそらくは、別の圧力を付加した形で双方が妥協できない交渉を始めることが、真の経済戦争と呼ぶべきではないか。お互いが妥協できるうちはまだ戦争と呼ぶには早い。

 ところで、現代の先進国では人の価値が昔よりも随分と高くなってしまった。大規模な戦死者の出る戦いの保証をすることは国家にとって実際に不可能である。また武力戦争の結果、相手の領土の多くを植民地のように繰り入れることも難しくなった。それは、戦争が破滅的にならないように少しずつ積み重ねてきたいくつかの取り決めによるものでもある。
 ベトナム戦争やアフガンなどで散々学んだ泥沼に陥ることを回避する手段である。中世などでは相手国を皆殺しにして遺恨を絶つということも可能だったかもしれないが、現代社会では少なくとも先進国では倫理的にそれは不可能となっている。一定レベルの経済力を有する国同士であれば、本格的な戦争は仮に勝利したとしてもメリットは少ない。既に多くの国は手放すのに惜しい富を蓄積している。そして、敗戦国から土地と人を収奪したとしても現実的に武力戦争による損失を賄いきれる可能性は低い。賠償金として課すことが落としどころとなるだろうが、金額が天文学的な数字となる時代にその解決方法が現実的といえるかは疑問である。
 一方で、メディアは過去の戦争における人的被害の大きさを語る。それ故に戦争反対は大きなテーゼとなっている。しかし、経済戦争により国が疲弊して間接的に多くの人が死ぬことになったとして、その被害者は戦争被害者とは言えないのか。私はそれも被害者と考えるべきではないかと思うのだ。戦争を小さな枠にはめ込んで考えるこれまでの常識が、却って戦争の真実を歪曲してしまっている可能性はないだろうか。

 既に、現代の戦争はその舞台を武力というフェーズから大きくシフトさせてつつある。それは世界経済が大きくつながったという環境上の変化がるだろう。確かに武力は現在も紛争解決の一つの手法ではあるが、上記のようにメリットが相対的に小さくなり、現状の体制を崩すというデメリットの方がそこから利益を得ている国にとっては多き野である。
 だからこそ今の時代、武力は一定レベルの先進国同士においてはあくまで恫喝のための存在として誇示した方が有効に機能する。先進国が介在しても、もちろん小さな紛争に対しては武力を用いるケースもない訳ではないが、一定の経済力を有する国同士では偶発的なものを除けば、損得勘定が機能して大規模な武力紛争に臨むメリットは薄い。逆に世界経済と切り離された存在からすれば、テロという形のゲリラ戦は有効なものとなる。

 なお、このこと大きな武力戦争が決して生じないということを意味しているのではない。お互いの理性が働く間については、武力戦争はデメリットの方が大きいことを基本的に為政者は知っていることによる抑制力が機能しているという意味に過ぎない。
 モノを動かす時の抵抗として、静止摩擦力と動摩擦力があるというのは小学校あたりの理科で学ぶかもしれないが、基本的に静止摩擦力の方が大きくなる。メリットデメリットを理性が判断して、容易に大規模な武力戦争に突入しないというのは、この静止摩擦力に似ている。それにより一定レベルまで抑制されるものの、モノが動かないということを保証しているのではない。一旦タガが外れると考えたくない事態が発生する危険性は常に存在している。

 だが少なくとも、現在は経済的優位性を保つための駆け引きが、戦争とは言わなくとも一定の経済規模を有する国同士の実質的な争いになっている。そこでは情報を奪い合い混乱させるサイバー攻撃があり、協定による囲い込みがあり、あるいは関税や貿易的な圧力による鞘当て、さらには裁判という有効な方法もある。大部分は法律と条約あるいは協定によるルールの主導権争いだ。戦争そのものではないだろうが、時には様々な緊張感を高める現象が起こっている。これらを戦争と呼ぶべき状態に移行するターニングポイントがどこにあるかを、しっかりと見極める必要があるだろう。
 もちろん、アメリカは基軸通貨ドルを用いた大きな攻撃力を有している。ドルの価値や信用維持こそがアメリカの最大限の強さである。アメリカの武力は、アメリカ人らしい独りよがりの正義感により動く面も少しはあるが、その大部分はドルの価値を維持するために存在している。ドルは武器なのだ。その武器を有効にするために武力による睨みを利かせ、そしてルール作りを主導することで実効足らしめている。

 アメリカのドルに対抗した最初がユーロであるが、ユーロはドルに取って代わることではなく、アメリカとは異なる経済圏を確立することを目的とし、それによりドルとの全面的な対立を避けてきた。湾岸戦争など通じてそうさせられてきた。次に台頭してきたのが中国の元である。現状、ドルに対する全面的な抵抗を示しているわけではないが、ユーロの場合と違って通貨圏を複数の国家に亘る形で作っているわけではなく、ドルとの小さな小競り合いは生じている。だが、中国自体アメリカに抵抗できるほどの経済的な力を蓄えているわけではないため、本格的な通貨戦争を仕掛けているわけではない。あくまでドルの隙間を広げているような状態といっても良いだろう。
 そして日本はバブルの一時期ドル真の強さを軽視し、そして崩壊により経済的というよりは心理的に大きなトラウマを抱えることとなった。

 但し、アメリカが万全である訳ではない。むしろドル価値維持のためにドンドンとドルを刷り続けなければならないようになっているというのは、いつかはドルの価値が大きく毀損するという時限爆弾を抱えているようなものだ。現状を永遠とすることは決して叶わない。
 経済戦争に対抗するために協調の姿勢を見せるものが、多国間の様々な取り決めである。TPP などもその一つに挙げられるだろうが、同時にそれはブロック経済(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E7%B5%8C%E6%B8%88)と呼ぶより広範囲の争いを呼び起こすことにもなる。

 さて、このように現状を俯瞰する時、次に発生する戦争は基本的にルールの押し付け合いからスタートする。そこにはルール破りも含まれるが、南シナ海を巡るそれは既に多くの人が知っているだろう。また、韓国と日本の間でも「歴史戦」と呼ばれる心理戦が既に繰り広げられている。もちろん、実質的な戦闘行為に広がることが無い様に、日本やアメリカの方が抑制的に接しているのは触れるまでもない。そして、中国や韓国は暴発の危険性をカードに揺さぶりをかける。
 しかし、最後にこれらは多数派の取り込み工作として勢力争いとなって進められている。現状においては中国や韓国の方が不利になっていると見て良い。問題は、武力戦争が良いというつもりは全くないが、その決着がつくという最終的な場面が見えない状態が続くことではないだろうか。
 よく、win-winなどという言葉が用いられるが、新たな時代の戦争には決着というものが現れにくい。経済的な争いなどは特にそうであろう。私たちが最も考えなければならない問題は、いつまでも決着しないことに対する苛立ちが武力を招き込む最大の要因であることかもしれない。ただ、それを利用したチキンゲームを仕掛けてくる相手には、武力ではない力の行使も必要となっていく。そのためのカードをどれだけ多彩にかつ多く持ち得、その使い方を気©hンと理解することが抑止力の一つとして機能するのでないだろうか。だが、強い側が単純に譲歩すればよいというものではないのは間違いない。