Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

大学は役に立つか

 貧乏が職業選択の可能性を狭めていると言った記事をネットでチラホラ見かける(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160818/k10010641551000.html)。私自身、実家がかなりの貧乏であったため大学に進学するなら自力で行くという条件だった。そのため、自宅から通える大学(私学以外)に進学せざるを得なかったし、当然アルバイトは必須でその上で授業料免除なども受けて卒業した。免除の条件を得るためには一定以上の成績が必要だったし、アルバイトのために全ての時間を大学生活に費やすことは出来なかったが、それでも様々な制度のおかげで無事に卒業することができた。有意義な時間だったと思う。
 逆に言えば、一定以上の学力やな能力があれば優遇されるシステムは既にこの国に存在している。それが全ての職業選択の自由をカバーしているとは思わないが、大学というものが高等教育として位置付けられるのであれば、ある種当然の事とも言える。同様の仕組みは、私学や専門学校でも宣伝のため非常に少数ではあるが授業料減免制度が備えられているところもおり、特段の成績優秀者は学費等が免除されるケースもある。

 もちろん前述の道は容易なものではないが、少なくとも皆無ではない。本当に自らの進むべき道として求めるのであれば、当初から検討に入れるべきものだと思う。また、一定の職業を選択するためには準備されたレールを通らなければたどり着けない、という誤解が社会に蔓延していることが最も大きな問題ではないかと思う。大学に進まなければ、専門学校に行かなければその道に進めないということはない(難しくはなるが)。
 今の時代の貧困問題は、単純な金銭面での貧困だけでなく情報格差心理的な抵抗感により、本来進むことが可能な道を逃してしまうということが最も大きなことではないだろうか。例えば、奨学金の扱いなども高校生ではなかなか理解できないこともあろうし、親が協力的でなければ存在すら知らないということも考えられる。そのめんでのサポートはもっと充実すべきだと思う。やる気があっても貧困で諦めてしまう人に対する夢を与えるという意味で。ただし、それが全ての人をカバーするものではない。

 さて、職業選択以外でも生涯年収面から大学を目指すという考え方もある。確かに、ネット上で容易にアクセスできる生涯年収の情報を見ると高卒よりも大卒の方が多いとされる(紹介されるデータにより違いがあるが、高卒1.9億に対して大卒2.5億程度の様だ:http://president.jp/articles/-/16332http://zakitenbai.com/archives/3460)。大学の学費を仮に500万円と考えてもそれを超える差がある。実際過去の平均を取ればそうなるのだろうが、これはあくまで平均値でありかつ過去のデータに過ぎないとも言える。

 まず、今存在する生涯年収データがどの世代を考えて算定されて理うかはわからないが、これからの将来もその値になる保証はどこにもない。次に、大学進学率が50%を越えるようなこの時代、卒業する大学による生涯年収の差も非常に大きなものだと考えて良い(http://toyokeizai.net/articles/-/7984?page=2)。良く用いられるFランクという呼称も、入学の容易さのみから名付けられたものではなく、就職後の事も含めてランク付けされていると考えた方が良い。だから、大卒であっても生涯年収が高卒に劣る人はかなりいると考えて良い。
 私の狭い人間関係の中ではあるが、中卒・高卒でも成功して大きな所得を得ている人は少なくない。そもそも、大学に入る一番の理由は安定した大企業に就職することである。その門は狭く、望んでも大企業に入れない人は多い。大企業になれば、ポスト次第ではあるが40代から年収1000万クラスの人もいよう。その分業務は非常に厳しいものとなるが、そこを目指すというのが一つの人生の選択とも言える。そして多くの親はそれを子供に勧める。
 ちなみに、公務員であっても高いポストに就けば同じレベルの給与を得ることもある。ただし、そこに至るのは大企業よりは遅くなるし、全員がその所得に至る訳でもない(今は、昔と比べ公務員給与も下げられているので)。ただ、安定という甘い蜜は多少の給与の低さでは買えないものでもあるが。

 さて、やや繰り返しになるが大卒に行かない場合の生涯年収について、私は既に非常に大きなばらつきがあると思っているし、今後もますます広がるだろうと予想している。例えば、高卒であっても大企業に就職すれば大卒とそん色ない年収を得られ、大卒で中小企業に勤務するよりも収入が大きいとされる(http://president.jp/articles/-/16332)。結局、どの企業に就職するかの違いに過ぎないとも言えるのだ。
 だから、大企業に当然就職できるあるいは大学で研究を続ける等の一部の能力の高い学生を除けば、ケースによれば高卒で大企業に就職することを考えた方が有利となることもあろう。また、本当の意味で高収入を考えるのであれば起業するのが最も正しい道のりである。中卒・高卒で大きな収入を得ている人は、間違いなくその道を進んでいる。これは何も大学を出なくとも企業は可能だ。大学を出る一番のメリットは、同じ大学の人脈を持てるということに過ぎない。稼ぐという面のみから言えば、広い意味での大学で考えれば実のところ意義はそれほどない。
 人脈を自分で切り開ける力と根性があれば、極論になるが大学には行く必要などないと言っても良い。もちろん大学で勉強する価値は十分にあると私は思うが、これも良い教員と当たればという前提付きである。良い師を見つける可能性は大学に存在するが、これまた難関大学ほどのその確率は高いと思う。

 さて、脱サラという言葉も最近では用いられなくなったように思うが、自分で会社を構えて運営するあるいは店を持つという道は、収入面で大学卒業を凌ぐことも多い。もちろん小さな商店や一軒のみの食堂では無理かもしれないが、複数のそれを運営できれば年収数千万という道は遠くない。
 あまり煽ってはいけないことは承知している。この道は明らかに容易ではない。多くの人が失敗し、財産を失ってきた道でもあるのだ。大企業に勤務するような安定感もない。いつもお金のことを考えなければならない苦しさがそこには控えている。
 しかし、企業でもポストが高くなればそれだけ難しい対応が求められる。役員になれば、不祥事や経営ミスで責任を取る必要もある。結局は、高収入の道はいずれにしても難しい。ただ、それにチャレンジできるだけの経験と知識を入手し、そしてそこに挑むかどうかが全てだと思う。

 社会には本来寄りかかるレールはない。そして、今の時代はかつてレールのように見えていた存在が、実はレールではなかったのだと皆が気付き始めている時。だとすれば、大学に求めるべきは自分が切り開く道を作るための何かを得るためであるべきだろう。それは法律でも文学でも技術でも、そして知恵であっても良い。
 だが、もし覚悟を持っていたとすれば全ての知識は大学で得る必要はない。大学というブランディングのまやかしに多くに人が早く気づく方が、社会としては正しいのではないかと感じている。