Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

貸し手責任とリーマンの亡霊

 現状のギリシャを巡る情勢は非常にわかりにくい。確かに借りたモノを返すという大原則は間違っていないのだが、「明らかに返済できないと判っている相手に貸した責任は誰が負うべきなのか」という問いが、現状の核心だと私は思っている。
 前にも書いたが、ギリシャが正しいなどと言うつもりは更々無い。今でこそ緊縮をしているがユーロの信用を利用して借金まみれの大盤振る舞いをしたのは事実である。しかし、貸し手となったドイツ等の銀行はその状況を本当に見抜けなかったのであろうか。もちろん見抜けなかった訳などあり得ない。明らかに状況を理解していながら貸していたのだ。

 今、ドイツを中心にフィンランドやいくつかの国々はギリシャに厳しい制裁を課そうとしている(http://www.bloomberg.co.jp/bb/newsarchive/NRDT9VSYF01T01.html)。ギリシャに問題があったことはその通りではあるが、ドイツなどの銀行が行った放漫な貸し付けについての責任までもギリシャ国民に押しつけようとする行為は果たして正しいことなのだろうか。
 「#ThisIsACoup(これはクーデターだ)」といった非難が欧米で連鎖的に広まりつつある(http://www.afpbb.com/articles/-/3054397)。ノーベル賞経済学者のポール・クルーグマン氏などは以前よりドイツの強硬な姿勢に否定的であったが、今回も中心的人物として位置づけられている。

 また、仮に今回の救済案という名の金融支配案をギリシャが仮に受け入れたとしても、その状態は長く続かないという意見が出始めている。そして、救済案を受け入れられない場合には「一時的に(と言っているが戻れる保証はない)ユーロ圏離脱をすべき」というのがドイツを中心とした強硬派の意見である。
 一方で、フランスやイタリアはこの提案には反発している状況にある(http://www.afpbb.com/articles/-/3054301)。スペインやアイルランドはお茶を濁しているようだが、PIIGSと呼ばれながらもなんとか立て直した(様に見える)彼らの胸中は複雑かも知れない。ギリシャと同じとは言われたくないが、ギリシャの二の舞を演じないという保証もないのだから。

 現状、ギリシャを取り巻く情勢は厳しい(http://jp.reuters.com/article/jp_forum/idJPKCN0PN08X20150713?sp=true)。支援のためにはドイツに頼らなければならないが、ドイツ案は厳しすぎるというのがギリシャの心情だろう。もちろん、甘えをこれ以上許さないという強い反発を東欧諸国から受けているという事実もある。
 ただ、繰り返しになるがこの問題の本質はギリシャの不誠実さだけではなく、放漫な貸し付けを行った銀行にもあることを忘れてはならない。その処理と、ギリシャへの制裁処理は同時に行われるべきだと私は思う。そう考えた時に、今ドイツ等の国々が提案している再建案は余りに厳しすぎる。そこにあるのは、理性的な解決策というよりは感情的な衝動である。

 さて、そうは言いながらも貸し手責任問題があまり大きく取り上げられないのは何故だろうかと考えてみると、原因はリーマンショックに行きつく。実は、リーマンショックの最大の問題は格付けの不誠実さもあったが、それ以上によくわからない高利回りの投資案件に野放図にお金をつぎ込んでいたことである。
 では、その時に投資を行っていたメンバーが逮捕されたのだろうか?責任を追及され職を追われたものは存在するが、既に十分な報酬を稼いでおりそれを召し上げられることもなかった。無論新たな投資会社を設立して再び稼いでいるものも少なくない。
 要するに、投資の責任を追及していないという実績があることが最大の問題ではないかと思う。リーマンショックは一時期ユーロ危機に飛び火したが、アメリカがばらまいたサブプライム毒まんじゅうを最も多く食べていたのは欧州であった。
 欧州でも、誤った投資に対する責任は基本的に追及されていない。少なくともそういう実績ができてしまった。そして、ユーロ内において金融機関を救うための仕組みが実行され、失敗はある意味有耶無耶のうちに隠されてしまったのである。

 ギリシャ問題を考える時、EU(もしくはユーロ圏)を一つの国家と見做したならば、日本でもあるように利益の再配分が必要となる(日本の場合には交付金制度)。しかし、現状はそんなものは存在していない。フランスは再配分制度に前向きのようだが、ドイツはやや後ろ向きのようにも見える。
 ギリシャの誠実さが先か、ドイツの寛容さが先かは禅問答のようになってしまうかもしれないが、リーマンの亡霊を野放しにしている現状では、そこまで話が進まないのかもしれない。