Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

資本主義のパラダイムシフトを期待する

 日本経済の現状は、マスコミが喧伝するほどまでには悪くない。状況だけで言えば、欧州はドイツを除いてフラフラの状態だし、イケイケドンドンの中国や韓国だって見かけ上はそれなりの数字を出しているものの、多くの人たちが実情の悪さを指摘している。既に幾度となくエントリーでも触れてきたように、私も全くと言っていいほどの同意見である。
 アメリカはここにきて、数字上は上手く立ち直りつつように見えるが、予断は許されない状況にある。日本もアメリカほどの成果を見ているわけでは無いが、じりじりと良くなっているのではないかと私は思う。もっとも、期待が高ければ高いほどにハードルが上がってしまうので、良くなっていると一度認識してしまえば「それでは不足だ」という意見がすぐに飛び出してくるのはいつものことである。

 さて、こんな記事があった。
ベンチャーバブル」大丈夫? 上場時高値→暴落相次ぐ(http://www.msn.com/ja-jp/news/money/%E3%80%8C%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E3%80%8D%E5%A4%A7%E4%B8%88%E5%A4%AB%EF%BC%9F-%E4%B8%8A%E5%A0%B4%E6%99%82%E9%AB%98%E5%80%A4%E2%86%92%E6%9A%B4%E8%90%BD%E7%9B%B8%E6%AC%A1%E3%81%90/ar-BBkQxOQ
 いつものように、すぐ見ることができなくなるとは思うがリンクしておこう。内容としては、新興市場における企業業績の悪化に伴う株価の暴落が生じているという記事である。
 マネーサプライの拡大により、お金が行き場を失っていることもあって世界中の株式市場はこの世の春を謳歌している。

 私は、現在のばらまき型の経済政策については基本的に賛成の意見を思っている。それは人によっては禁じ手と言える手段ではあるが、現状を見る時ベストではなくともベターな選択と言うか、正直言えばそれしかないという状況であると認識している。
 もちろん、もう一つの選択もあろう。民主党政権時代のような円高不況に耐え続ける方法だ。こちらは、どちらかと言えば縮小均衡を目指して損を少しでも少なくしようという守りの戦略だと思っている。
 一方で、現在の経済政策は攻めの姿勢である。毒も併せ持つが、それ以上の効能を追求するというイメージであろう。溢れかえるお金が、行き場所を求めて社会の隅々にまで広がることを求めている。お金の流れを行政的に許される範囲でなるべく操作しようとはしている。ただ、なかなかお金は気まぐれであって思うようには流れてくれはしない。

 さて、ではなぜ溢れている筈のお金が社会に広がらないのか。それを考える時、社会においてコモディティ化した場所にはお金に対する吸引力が無いのだと考える。サ―ビスや商品の提供者が多くなりすぎた商品は、間違いなくコスト競争にさらされる。今の社会には、コスト最重視のものが多すぎて、またそれに従事する人たちが多すぎるのであろう。
 とは言えコストは非常に重要な要素ではある。それを無視しても経済的には成功しえない。変な話、上記のようなベンチャーバブルが指し示す様子と言うのは、「目新しそうな」雰囲気のものにお金が流れ込んでいる状況なのだ。実際には現状の社会を大きく変えるような存在ではない。あくまで一時的なイベントのようなスポットだと思う。
 「アベノミクス」における第三の矢の真の目標は、本音の部分に於いて社会システムを変革してしまうようなブレイクスルーを期待するものであると私は考えている。もちろんそんなものは簡単に生まれる筈はない。だからこそ、現状においては最初の二つの矢で当面の崩れかかっていた経済状況を持ち上げるだけで十分だと思う。これによって時間を稼いだという状況である。

 稼げた時間はどの程度かわからないが、そろそろ稼いだ時間を使っての何かを生み出すタイミングが訪れたと考えるのは私だけだろうか。
 これは政府が音頭を取ったからと言って上手くいくものではない。何せ、政府と言う存在は現状の社会システムを維持するために存在している。これまでのシステムを破壊する存在は、未来において有用ななものであったとしても、現れた時点はおそらく既存システムを破壊するような暴挙と認識させれるであろう。
 そして、既存システムを最も端的に表しているのが資本主義ではないだろうか。現代日本を経済および社会システム面で支えているのが「資本主義」であり、意思決定面で支えているのが「民主主義」だと私は考えている。
 「最も社会主義的な資本主義」と揶揄と称賛を受けてきたかつての日本社会ではあるが、その道の先にどんな未来があるのかはまだ誰も指し示してはいない。

 既に新たな資本主義の誕生を指摘する声は少なくない(http://news.livedoor.com/article/detail/9635703/http://gqjapan.jp/more/business/20120625/new-business-heroes-of-capitalism1http://www.allianceforum.org/capitalism/)。これら主張の大本は、辿ればラビ・バトラ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%A9)に至るのではないかと勝手に予測しているが、予言通りのタイミングでは残念ながら資本主義は崩壊していない。
 ただ、資本主義の有する根本的な矛盾については、なるほどと納得させる内容が読み取れる。

 私が勝手に期待しているのは、社会変革は制度の変革によっては生れることがないのであって、それを外的に壊す何かが必要なのだとするときの、「何か」である。実は、人間社会は何度もそれを経験している。その一つが戦争であった。戦争そのものに意味があるのではなく、戦争により破壊しつくされることで社会のコモディティー化を解消するというスタイルである。
 しかし、それは人間にとっては悲惨な状況を巻き起こす劇薬でもある。戦時に開発が進められた技術は、その後の生活を劇的に変えたものも少なくない。後で考えれば戦争がなければ生まれてこなかったかもしれないものは数知れずあるのだと思う。仮に生まれたとしても、育てられなかった可能性は少なくないと考える。

 しかし、戦争と言うのは同じことの繰り返しでもある。人類は同じ轍を踏み続けてきたのだ。技術的なパラダイムシフトは、それを正のスパイラルに変える可能性を秘めている。もちろんそれが生み出す負の面も確かに存在するであろう。ただ、社会を活性化させるには、コモディティをできる限り破壊してしまう何かがなければならないのだと私は愚考する。
 それが何かは正直考えが及ぶものではない。ただ、それでも行き詰まりが近づいているのは誰もが感じているのではないだろうか。別に2,3年の話をしているわけでは無いが、遠くない将来に戦争と言う最悪の選択肢を踏んでは欲しくない。

 だからこそ、私は資本主義のパラダイムシフト(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%88)が生じることを何より期待している。