Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

未練を道具にすること

 福島原発の爆発により、3年以上を経過した今でも自分の家に帰ることができない人が多く存在する。痛ましいことであり、現状の被災者の方々の苦労や苦痛が少しでも解消されることを切に願いたい。その上で、原発事故の教訓を忘れないことは確かに大変重要であると思うし、私は再稼働容認派ではあるがその議論はできるだけ丁寧に進めてほしいと思う。

 ただ、立ち入り禁止区域は現在「帰還困難区域」や「居住制限区域」という形で残っている(http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/41035c/kikankonnanukairo.html)。また、「避難指示解除準備区域(http://kotobank.jp/word/%E9%81%BF%E9%9B%A3%E6%8C%87%E7%A4%BA%E8%A7%A3%E9%99%A4%E6%BA%96%E5%82%99%E5%8C%BA%E5%9F%9F)」は除染が進めば(年間の累積放射線量が一定値以下になれば)制限が解除される区域であるが、3年を経過した後においてもこれだけの広い範囲が残っているのは事故直後には想像できなかったことかもしれない。
 事故直後には、早い除染と原発封じ込めにより早期の帰宅を可能にすることを想定していたのだろうと思う。避難を指示された自治体の長も2年での復帰を強く語っていた記憶があるが、現実はそれほど甘くなく3年経過した今でも目途が立っているとは言えない。
 誰もが未経験のことであり、当初の予想が外れること自体には必ずしも責任があるわけではない。ただ、それよりも刻一刻と変化する認識に応じた対応が本当にできているのかという方が重要だと思う。当初の見込みは外れたとしても、それに替わる良い方法が見つかれば随時よりベターな選択をしていくというのが、原発事故のように経験のない出来事に対する向かい方であろう。

 ところが、社会を見れば臨機応変な対応を広げると言うよりは、むしろ初期の混乱状態を固定化しようという動きが目につく。それは現状抱えている問題を変化しようにない状況に留めることであり、きめ細やかな対応という意味ではむしろ後ろ向きな状況ではないかと私は思う。
 元々、政府など官僚機構は多くの場合において刻一刻と変化する対応には不向きな組織であろう。状況を明確化(規定化)して、一度決めた内容に対しての幅広い措置を講じるのがこうした組織の常である。政治家が多少臨機応変さを希望したとしても、省力化や合理化を前提とした議論ではほとんど活かされることはない。
 通常では、マスコミがこうした問題をきめ細かさがないと批判するのがステレオタイプではあるがよく見る光景である。しかし、こと福島の避難者に対する事柄で言えば概念レベルではきめ細やかな対応を求めるものの、具体策としてピントが外れているような気がしないではない。

 例えば、現状「帰還困難地域」に指定されている地区などではその解除の目処は立っていないと言ってもあながち間違いではないように思う。それは、逆に言えば3年経過して徐々に明らかになった(というか合意が形成された)事実であるとも言える。状況が明確にわからなかった時点で立てられた推測は、状況が次第に明らかになるにつれて書き換えられていくのである。
 だとすれば、現状の理解からなるべく早期によりよい方策を考えるというのは一つの手ではないか。極端な意見であることは承知した上で言うならば、「帰還」という言葉を使える場所と使えない場所がある。これは未来永劫という意味ではないが、当座の2〜3年程度で戻れないとすれば長期化を明確に考えるべきであり、また別の場所への移住を公式に訴える時期でもあろう。
 政府としては、帰還が当面不可能という言葉は大きな反発を招くことが明らかであるため言えず、マスコミはこの状況が政府叩きに丁度良いからまた強くは触れない。でも生活者の安寧を考えるのであれば、一旦別の場所に移住して生活基盤を組み立てる最大限のサポートをして、その上で万が一『運良く』早期の帰還が果たせれば良かったという形をすべきではないか。
 私の考えは一面的であろうと思うのだが、ある意味において諦めきれないことが新しい一歩を踏み出せないしがらみとなっている。上記の通り、政府はそれを言い出せないしマスコミや原発反対派は政府叩きの定常的な根拠とするために状況を維持する。すなわち、不幸を繋ぎ止めることに荷担している。

 むしろ、現在の避難者の内で明らかにあと数年で戻れると断言できない人たちについては、現状捨て去った形になっている土地や住居の所有権は保持したまま(当然固定資産税などはかからず)、別の場所で生活基盤を築くための最大限の金銭的な補助をすべきではないかということである。
 帰還を前提とせず、もし仮にそれがなればボーナスとして新旧の基盤を保持できるほどの特典を与えても良いと思うのだ。諦めると言うことは難しく苦しいことではあるが、それにつなぎ止められ続けるからこそ苦しみや不安が続く面もある。
 もちろん現実には既に別の場所で生活を築いているではないかというのは正しい。ただ、私が思うのは心のつながりを他者の点で細々とつなぎ止めさせるのではなく、一旦切ってしまった方が精神的な意味での回復が早まるのではないかということである。
 現実に考えれば、高齢者には酷なことなのだろう。それも重々承知しているが、だからこそ他者の強制的な力(おそらく非難を受ける)でそれをなすべきだと思うし、それができるのは政府でかつ後押しをすべきはマスコミではないかと思うのだ。