Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

自分に合う仕事

 自分に合う仕事が見つからない。

 世の中には「天職」という言葉があるように、自分に合う仕事があると考えている人は意外と多い。相性が完璧という仕事を求め続ける人はそれほど多くはないだろうが、自分に向いている(完璧とは言えないがそこそこのレベルでの適合性を持つ)仕事は存在すると漠然と考える人は少なくないだろう。
 そう感じるのは、ネットで「自分に合う仕事」と検索すると関連サイトが山ほどヒットすることなどから見て取れる。もちろん、こうした考え方は確固たる信念の下で培われるのではなく、多くの場合には願望に近い無意識的な自己理解から始まるケースも多い。

 しかし、私は「天職」というものは非常に稀だと考える。スポーツにおける天才選手がゴロゴロと存在しないように、本当に自分に合う仕事はそう思い込むことで生み出される。一部マスコミでは、毎年のように何十年に一人の天才が持ち上げられるが、それが大げさな表現であることは言うまでもない。
 別に仕事に向き不向きがないと言っているわけではない。営業向きの人もいれば研究向きの人もいる。性格は自分の仕事の成果に対して大きな影響を与える。だから、大きな括りで言えば仕事の向き不向きは間違いなく存在する。
 ただ、それはピンポイントの仕事を意味する訳ではない。「天職」という言葉が示すように他の仕事とは格段の差を与えないと思うのだ。世界で活躍する日本人スポーツ選手は少なくないが、彼らはおそらく別のスポーツのジャンルに進んでいても一定以上の成果を残したであろう。ひょっとすれば現在得ているほどの成果を残せないかもしれないが、逆に言えば今以上の結果を残した可能性もある。

 もっとも重要なことは、どんな仕事であれ成功する人はおそらく成功する。稀に特定の仕事でしか成功できない人もいるが、結果を残せる人はどんな仕事でも(上記の大括りの方向性が適合していれば)一定以上の結果を残すであろう。それは、個人的な適正としての仕事の向き不向きではなく、仕事を成功させるための方法を上手く掴むからだと思う。
 仕事により個人が左右されるのではなく、個人が仕事を上手く付き合い仕事を利用する側に立つことができるかという問題なのだ。仕事ができるということは、仕事から主体性を得ることなのだと思う。もちろん、自分勝手に振る舞うことが仕事を主体的に行うことと同じでないことは言うまでもない。仕事は社会の一部であり、社会的なバランスを無視することで生み出される軋轢は、一時的に手にした主体性を容易に奪い取るだろう。

 また極論のみを言えば、ブラック企業の人を人とも思わないような場所では成功しないこともあるかもしれない。だから、大きなジャンルについては間違わないという決定(選択)は重要だ。ただ、自分が合うと考える大きなジャンルですら時には正解でない場合すらある。思い込みにより、自分の力を発揮できないものを自分に向いていると勘違いしている人も社会には存在する。
 こうした時には、外部の目や意見は参考になる。自分のことは自分が一番わかっているが、その裏側で自分のことを一番知らないのもやはり自分である。自分が知る自分は内面から見る自分であり、自分が知らない自分は社会との対比に見る自分である。社会的地位(あるいは世間体)を気にするということは、すなわち自分が知らない自分を気にし続けているということなのだから。

 さて、自分に合う仕事を見つけるためには自分に適合するジャンルであればどんな仕事でも一度突き詰めてみることが肝要である。偶然性に期待して自分が最大のパフォーマンスを発揮できる場所を追い求めても、おそらくそれに辿り着ける可能性は著しく低い。ところが、結果を残せばそれについて外部的な視点から助言してくれる人は次々と現れてくる。
 今から力を出すと考えてそれを外に見せられない人に対しては、的確な助言者は身内(あるいは一部の友人等)以外は現れない。こうした外部の助言が正しいかどうかはわからないが、自ら以外の考えを得られることは決してマイナスではない。

 だから、自分に合う仕事を探したければ兎にも角にも一度きちんと成果を残す。天職を20歳そこそこで見つけられるのはよほどの天才か、稀なる偶然を掴んだ者だけであろう。50歳を過ぎて天職を見つける人も決して少なくはない。あるいは一生をそれを探し続けながら、多くの何かを成し遂げていく人もいるだろう。
 自分に合う仕事というのは、仕事を上手く扱えるから言えることである。もちろんその仕事が好きでいられるというのもあるだろうが、楽しめるのも仕事に対して気持ちが前向きだから言えることでもある。だとすれば、天才でない人にとってはそれを得るまでの準備は間違いなく必要である。スポーツでも重要視される基本トレーニングもそうだし、コミュニケーションも同じ。
 それらの技術を習得するからこそ、仕事に対して主体的に取り組み新たな先を求めることができる。

 だから、合う仕事は見つけるのではなく作り出していくというのが正しいのだろうと思う。