Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

最強の外交

 外交とは交渉であり、虚実交えた駆け引きが何より重要だと考えていた時期が私にもあった。駆け引きに関するテクニックは、状況が膠着状態にある時には有効な手法かもしれないが、状況が動くときには必ずしもそうとは限らないと今では考えている。
 別のエントリにおいて、感情と論理がぶつかり合えば論論理側は良くて引き分けにしか持ち込めないと書いたことがあるし、あるいは別のエントリでは武士道とゲリラが戦えばゲリラが勝つだろうとも書いた。形や言い回しに違いはあるものの、言わんとしていることに大きな違いはない。守るべきものを(捨て)振り切った方が勝つのである。
 なぜ、一般の市民はヤクザとのもめ事を嫌うのか。それは、彼らが守るものを持たず(あるいは持たないように振る舞い)行動することを恐れるからである。普通の人は、家族、社会的地位、財産など様々な守らなければならないものを持っている。それらを捨てる覚悟があればおそらくヤクザに対して対等以上に戦えるであろうし、そういう状況に結果的に追い込まれた人は実際戦う。社会におけるほとんどの恫喝は、守るべきものが重視されるほどに効果が高くなる。すなわち、守ろうとする者は基本的に短期決戦には弱く、守るものを持たずに攻める者は短期の争いにおいて優勢になる。
 逆に言えば、守らない(あるいは一定の損失を覚悟する)ことを決めたならば、これを「開き直り」と呼ぶが一気に強くなる。

 一般社会においても、国際政治においても駆け引き(これも一つの論理)が成立するには、両者が同じ論理の土俵に立たなければならない。その土俵が、私たちの知る論理が通用しないものであった場合には基本的に論理に縛られたものが負ける。近代社会は、その無秩序さを嫌い論理の構築を様々な法律や条約を用いることで作り上げてきた。
 ただ、この論理の土台はそれを認める者たちの間でのみ成立する。逆に言えば、それを無視する(形式的には守るように見せかけて軽視する)者たちにとっては大した縛りには成り得ない。もちろん、平時においてはルール破りの度が過ぎれば仲間内での制裁を受けるであろう。ただ現在社会では、これもその態度(や行為)がよほど露骨でなければ強引な方法を採ることはない。ましてやグローバル化によりお金も資材もが密接に絡み合っている状況では、自らのリスクを考えると容易に強攻策をとることもできない。現状の安定を崩すだけのメリットがそこに見出せない限り、本気では動けないものである。実際、9の違反があっても1の正当性があれば断罪しきれないという状況を私たちは北朝鮮問題などで何度も目にしている。だからこそ、瀬戸際外交という迷惑な手法が世界中でそれなりに成立する。

 論理の反対が感情というのは一面的な見方かもしれないが、感情というのは別の論理であると考えれば比較的理解しやすい。社会の秩序維持を必要としない(あるいは逸脱する)者に対しては、論理は非常に弱い力しか発揮しない。何も北朝鮮問題を持ち出さなくとも、社会問題とされている半グレ問題も基本的に同じ話である。私たちは身近なところで論理が通用しない世界をいくつも見知っている。そして、こうした論理が通じない相手を取り締まるのは公権力という一種の暴力的なパワーがなければどうしようもないことも知っている。
 世界の秩序がアメリカの消極性により揺らぎつつあることは、メディアなども触れ始めている。これがオバマという大統領のせいなのか、あるいはアメリカ社会そのもののモンロー化によるものかはわからない。ただ、世界の警察官が取締りを後退させたことが次第に明らかになるにつれ、どんどんと国際情勢が不安定化していくのは間違いないだろう。それはすなわち、これまで先進諸国が築き上げて来た論理が通用しない者たちの台頭を許すということでもある。
 目に見えるほどひどくなくとも、不安定化した世界においては守るもののない国家の取る外交が最強なのだ。