Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

貨幣と物の海

 日本政府の国債発行残高が6月に1000兆円を突破したことが報じられているが(http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0902O_Z00C13A8MM8000/http://president.jp/articles/-/10955)、多くの経済評論家が煽るように日本の国債金利が急騰したという声は聞こえてこない。
 もちろん、その理由の一つには日本という国家のバランスシートを考えた場合には、政府の保有する資産が大きいために実質的な負債が他の欧米諸国並みであることが知られてきたという点があろう。また、日本という国家全体(企業も個人も含む)が保有する資産が大きいことも無視できない。借金をしているのは政府であるが、政府は日本という国家を代表しその国家は大きな資産を保有している。悪い言い方をすれば蛸が自分の足を食っている状況ではあるが、幸いにして足は再び生えてきている。ただ、食べる量とペースが増加しており辻褄が合うのかどうかが問題とされている。

 さて、それでも日本の国債が暴落する気配を見せない、あるいはインフレが問題とならないのはなぜだろうか。もう10年以上前から国債の暴落を叫び続けてきた評論家も居るが、彼の仕事はノストラダムスの予言の時のような期限がないために失業状態には至らなくてすんでいるようでもある。
 次々と、そろそろ当たるのではないかと暴落説を華々しく打ち上げる人が現れるが、メンバーが代替わりするだけで話している内容に新鮮味はない。もちろん、私も国債暴落の可能性が全くないと考えているわけではないが、一方で多くの人たちが主張するほどには容易に起こらないとも思っている。そのように考える理由はこうである。
 まずインフレは貨幣の増加により生じることもあるが、それは物の量が相対的に不足する局面で発生する。仮に物が溢れているとすれば、少々の貨幣の増加でも物の値段が極端に上がることはない(上がらない訳ではない)。もちろんいつかは臨界点を迎えるのは自明だが、だからと言って臨界点が直前に迫っていると喧伝するのはどうだろうか。私たちはいつか死ぬ。これも確定した事項ではあるが、私たちが死ぬことが決まっているから若いうちからそのことを考えていくべきかと問われれば、それは少し違うであろう。
 結局はいつ頃に身構えなければならないかというタイミングの問題であり、逆に言えばいつ方向性を変えるかというかじ取りの問題でもある。まっすぐ歩き続ければどこかでぶつかるのは子供にも分かっている。そうではなく、暗闇の中でどこまでまっすぐ歩くことができるのかを私たちは知らなければならない。少なくとも、10年以上前からインフレを主張し続けている人に曲がり角は見えていない。

 政府の財政破たんも、財政の収支の問題もあるしまた日本という国家全体の信用力の問題もあることは先に触れた。いつまでも赤字をまき散らせばいい訳ではないのは当然ではあるが、できもしないことを社会の安定をぶち壊してまで無理矢理することは勇気ではなく蛮勇と呼ぶ。
 どちらにしても、国家の信用が失われるのはその能力(多くの場合は価値を生み出す能力)が消失してしまった時である。具体的には戦争により生産機能(物理的な生産能力)を失ってしまったり、または価値あるものを生み出せなくなって国としての地位が低下した時、あるいは外国からの借金を返済できなくなるほどまでに膨らませ過ぎた時がそれに当たる。借金が膨らむのはそれに見合うものを生み出せなくなったということであり、やはり国としての能力が衰えたことがそれに当たる。
 日本が真の意味で世界的に価値のない国になっていたのであれば、財政破たんの危険性を訴える声もインフレが直前に迫っていう警告も私は信用するであろう。確かにしばらく続いた円高により一部輸出企業が競争力を失ってしまったことは、国家としての価値をある程度毀損した。一方で、長く円安が続けばこれもまた国民の生活能力を低下させる。
 だから、以前にも書いたことがあるが円高は国の強さを示す指標であるが、グローバル社会において企業がそれを打ち破る強さを同時に持っておかなければならない。残念ながら日本はバブル崩壊後の経済低迷がその活力を削いでしまった。もちろんそれだけが理由ではないが、創造性をやや失った日本企業は円高に打ち勝てなかった。
 だから、現在の金融緩和により引き起こされた円高是正(円安ではない)は企業の活力と創造性を復活させるボーナスステージである。逆に言えば、この期間の内に日本の輸出企業は再度の円高にも耐えられる力を取り戻さなければならない。

 今は、お金も物も溢れる時代である。だから、かつて生じたような極端なインフレが生じる危険性は非常に低い。物が不足しないからである。ただ、これも為替が(円安に)振れすぎたり投資を控えすぎて日本の生産応力が大きく低下してしまえば話がころっと変わる。まずはそれを確保することが最初に重要となる。今規制をかけて生産能力を過度に削りすぎることは、建設業に見られる人不足資材不足と同じことを社会全体に蔓延させかねない。
 生産は、物であろうが価値であろうが構わない。むしろ価値ある有体物(商品)であり無形物(ノウハウやサービス)をどれだけ生み出せる力を日本という国が保有し続けられるかが全ての原点となる。
 物とお金の両方が溢れる経済を経験するのは人類史上においておそらく初めてのことであろう。そこに過去の経験を当てはめても答えは見えてこないのではないだろうか。