Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

丁稚奉公の復活

 グローバル化は社会の形を大きく変える。これは望むと望まざるとに関わらず、定められた事項であると私は思う。グローバル化の目的は、地域ごとの格差を上手く利用して企業がより高い収益を得ることにあるが、それを正当化するために多文化共生というフレーズが利用されている面も考えられる。
 どちらにしても、よりコストパフォーマンスの良い場所や地域のを選択することで、人件費の最小化を図ることが正当化されているが、これは企業の本来有する成長本能はを研ぎ澄ましていけば行き着くところなのだろうとも感じている。もっとも、それが企業にとって最善の方法論なのかということに関しては疑問も抱いているが、だからといって現状維持のみを目標とする企業ばかりでは社会は停滞してしまう。

 さて、企業が人件費を競争力にマイナスなコストだと考えて、カットに本腰を入れていくとすれば世界的な人材模索が始まるのは当然ではあるが、それと同時に即戦力を欲する動きが加速化される。マネージメントのできる即戦力は引く手あまたとなり、高額の報酬でスカウトされることもどんどんと増えるだろう。
 逆に言えば、じっくりと腰を据えて若手を育てるということはその成果に確実性がなければ無駄な投資だという概念に行きつく。いや、既にいくつもの企業がこうした方針を明確に打ち出している。その姿はアメリカの企業などからおぼろげに見えてくるが、日本の風土を考えれば完全にアメリカナイズされることもないだろう。とは言え、そこに近づいていくこともまた間違いない。

 ここにきて、「地域限定採用(http://jinjibu.jp/keyword/detl/135/)」や「職種別採用(http://kotobank.jp/word/%E8%81%B7%E7%A8%AE%E5%88%A5%E6%8E%A1%E7%94%A8%EF%BC%88%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%88%A5%E6%8E%A1%E7%94%A8%EF%BC%89)」などがであるとかなどが話題になっているが、働き方の自由度という意味からすれば選択肢が増えると肯定的に捉えられる向きもあるのは理解できなくもないが、逆に言えば働き方が最初から固定化されてしまいそれを打ち破るのが容易ではなくなるという負の側面も持っている。
 人生に対する捉え方は人それぞれだとは思うが、私の個人的な感想を言わせていただくともう少し広がりや夢が欲しいと思ってしまう。

 どちらにしても、グローバルに目覚めた企業が最後に推し進めるのは、人材を育てるコストの削減になるだろう。歯車として安い賃金で変化のない仕事を押しつけ、マネージメントするスタッフは高い報酬を支払ってでもスカウトしてくる。もちろん、スカウトされる人は同時に使えなければ容易に捨てられるであろうが、一度こうした立場に組み込まれれば別の合う企業を見付けられることもあるだろう。
 要するに、これらの傾向は働き方には明確な二極化が生じると言うことを暗示している。そして、その差は埋めようがない大きなクレヴァスとなって横たわることになる。山田昌弘は「希望各社社会(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E6%A0%BC%E5%B7%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A)」において教育(あるいは生活)格差がチャレンジすること自体を叶わないものとしてしまう社会を取り上げたが、働き方の選択がそれを生み出そうとしている部分もある。

 では、グローバルなマネージメントの地位に就くことは叶わないかと言われれば、これも少し違うような気がしている。それはおそらく可能であろう。ただ、前時代的な丁稚奉公のような(低い報酬の時期という)境遇を乗り越えて力を磨き続けたものか、あるいは高学歴により最新の経営戦略をMBA等により学んだ者たちが、そのパスポートを得ることになる。
 中間層が消えていくことについては既にいろいろなマスコミも取り上げているが、それはすなわち若い時に苦難の道を歩まなければならない人が今以上に増えると言うことを意味し、そして一部ビジネスエリート層の少子化は加速するのであろう。
 もちろん、こうした道筋以外の独立開業の道も当然存在するが、その世界に流れ込む人の数が増えるほどに過当競争が進むとすれば、その道も決して平坦なものでは無い。加えて、独立開業の道の方がより丁稚奉公的だと言えなくもないのだから。

 企業の合理化という意味においてこうした流れは理解できなくはないが、個々の企業における合理化の積み重ねが社会をどれほど悪くしていくのかについては、もう少し真剣に考えるべきではないかと思う。