Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

権威のメリットデメリット

 現ローマ法王は非常に気さくな性格であることが知られている(http://sankei.jp.msn.com/world/news/130823/erp13082308150000-n1.htm)。もっとも、こうした美談的なものは数が多くなってしまえば日常という大波に絡め取られてしまう。気さくさはある段階を超えると権威を失墜させることにもなりかねず、そのバランスは微妙なかじ取りにもなる。
 そういえば先日もノルウェーの首相がタクシー運転手に変装して、国民の生の声を聴こうとしたことがニュースとなっていた(http://www.afpbb.com/article/politics/2961428/11173105)。これもサプライズが生きている間は美談として扱われるかもしれないが、それが日常となればネガティブなニュースとして扱われてもおかしくない。

 同じような話は、人気時代劇であった「遠山の金さん」、「暴れん坊将軍」や王道の「水戸黄門」でも見られる。権威ある者がそれを隠して市井に出て悪を裁く。定番ではあるが非常にわかりやすく人気のある構図でもある。この気さくさは、目線としては庶民の立場をとっているがそこに権威が隠れていることにより際立たされている。要するに単純に気の良い人ではないという特殊性があってこその大きな意味を持つ。そこに求められているのは意外性と言うサプライズなのだ。
 しかし、これらは意外性があってこそ意味を持つ。意外でもなんでも無くなれば、ただのセレモニーと化すかもしくは嫌みな行為と受け取られることにすらなりかねない。ところが、本当に庶民に混じって意を汲み取ろうと思うのであれば、一日やそこら真似事をしたからと言って雰囲気は感じられても実のところが掴めるとは私には思えない。
 この雰囲気を感じとる行為が無意味かと言われればそんなこともなかろうが、それでも多少の不平不満を聞くぐらいが関の山だと思う。だとすれば、こうした客観的な不満のデータは数字としては機関として収集すればもっと公平で内容のあるものが手元に揃う。何も直接聞けば良いというものでもない。より多くのデータを自ら感じとることにもまた意義があるだろうが、そこには意外性という壁が立ちはだかり永らく続けるほどにその行為が好意的に捉えられることは減少する。

 庶民の声を聞き空気に触れることが、人気取りでないとすれば好意的に捉えられる必要性など無いのだが、地位ある人というものは背景となる権威を守る義務も同時に負っている。それを軽んじることは難しくないが、毀損することはなかなかに難しい。個人である以上にポストが権威を作っているからである。
 結局のところ権威により何か行おうとするものは、それを背景に抱える限り相反する行為を継続的に行うことはできない。それは自己否定を意味することなのだ。
 権威は足枷だが、権威がなければ為せないことの方が多い。何かを為そうとする気持ちが強ければ強い程、そして権威の力を知っているればいる程に、権威を毀損することに臆病になってしまう。結局は、世の中にある大半の権威は個人の力ではなくそれを求める声により形成されている。
 個人の力よりも伝統やそこに関わる人たちの声が反映されるほどに、そこにある権威は格式を求められ市井に近寄りがたくなっていく。もちろんそれに近づく努力は為されるであろうが、あくまで世間に好意的に迎えられる範囲に限られるのだ。

 幸いにも、テレビの中のそれはいくら露出しても世の中の評判が落ちる事はない。だからこそ、情報が容易に駆け巡ることのない時代劇が適していると言えるのだろう。