Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

人と同じ就活をするな

 現在のように就職の厳しい時代がいつまで続くかはわからない。数年後には、ひょっとすれば数十年ぶりの本格的な売り手市場の時代が来るかも知れない。もし仮にそんな時代が到来したとすれば、正直言って就活などと言う無駄な作業は必要すらなくなるのかも知れない。かつてバブル時代には何社も内定を取り、その中から最も好ましいと思う企業を選択することさえ可能であった時代もある。とは言え、現在あるいは近い将来に就職活動に勤しまなければならない学生達にとっては、自らには関係ないことと無視する他はあるまい。夢物語や過去の栄光で就職先が手に入る訳ではないのだ。
 あるいは、理想的な時代の到来を夢見て数年間を社会経験の時間として世界を見てくる旅に費やしても良いかもしれないが、だからと言って仮にそんな時代が来たからと言って自らの経験が役に立つかどうかなど誰にもわからない。

 さて現在のような買い手市場の就職戦線においては、採用する側の企業としてはできるだけ能力の高い学生を手に入れるチャンスである。厳しいセレクションや、あるいは容易な学歴のみによる篩い分けにより欲しい将来有望な戦力を手に入れようとする。企業としては、一定の投資をして社員に勉強を施したうえで企業収益に寄与してもらうのだから、早々に辞められても困るし儲けに役立たないままでいられても困る。すべての人がエースとなる必要はないが、一定の活動ができることは期待したい。加えて言えば、人事担当者の評価にかかわる事項でもある。
 Googleなどが採用するような特殊な手法(最近は否定されたとも聞くが)でもなければ、その試練を通過するためにはまずミスのないことが求められる。要するに個性が強すぎず真面目で前向きで成績がよい。この全てを兼ね備えることすらが容易ではないと思うかも知れないが、買い手市場のこの時代良い企業にはこんな学生が集中する。成績優秀で一定の社会活動も経験し、その上クラブ活動などにも積極的である(と肩書には記載され、面接でもアピールするだろう)。
 当たり前の話であるが、企業が好みそうなスタイルに自分を染め抜いているのだ。就活が厳しいだけに就活セミナーなどもあり、それもあってますます学生側のカタチは画一化されていく。一種無機質なまでに落ち度のない理想的な学生を演じようとしているのであろう。この真面目さという点を考える時、女子の方が男子よりもやや有利であるように思う。もちろん個人的な資質の方が男女の差よりも大きいから、こうしたくくりは必ずしも正解とは言い切れないが、それでも現代の就職システムにおいては女子学生の方が成績優秀であるケースは多い。

 さて、企業側としては本当に欲しい人材は将来にわたり企業内で活躍してくれる若者である。短いセレクションの間に個人の資質だけでなく将来性を見抜くことは容易ではないというか、時間と作業が可能な範囲でできる限りのことはするだろうがそれでも正直言えば博打に近い。採用は賭けという認識があり限られた時間では実力を十分に見抜けないと思うからこそ、失敗をしないために過去の成績やこれまでの活動履歴に頼らなければならない。学生たちはこうした暗黙のルールを知っているがために、最高得点を獲得すべく就職活動と言う舞台で最大限に演じているのである。

 しかし、考えても見れば非常に不毛な話である。企業として欲しいのはロボットやイエスマンばかりではない。もちろん真面目な人材も必要だし、夢を語る人材も必要だろう。社会に対する意義を語っても良い。それでも、最も重要なのは何か新しく有益なものを生み出す能力なのである。これは研究・製造の過程だけに限らず、営業や販売の世界でも良い。既存のシステムを十分に理解する能力を保持し、その上で新しい仕組みを自らが作り上げられるような人材が欲しい。
 残念ながら、現在の就活の仕組みではこうした人材を拾い上げることが十分できるとは限らない。だからと言って大学のような一芸入試を行ったからと言って、その趣旨にかなう人間がそうそう多いとも思えない。多くの場合には期待したほどのことはないように思う(一部には眼鏡にかなう人がいるかもしれないからやめられないが)。

 さて、ここで考えるのは就職活動と言うものも自らが新たなものを生み出す機会だとは思えないだろうかということである。単に奇抜なことをするという意味ではないし、学生時代に勝ち取った賞などをひけらかすということでもない。現代の凝り固まりすぎた就活スタイルに自分なりのオリジナリティを加えられないかと言うものである。
 一部では、自分紹介のビデオやHPを作るようなケースも紹介されているが、その人の個性に合った形で自分の違いをアピールすることは必ずしも悪いことではない。他の大勢と同じような履歴書を作って何社も企業を回り続ける労苦を考えるならば、こうした自分オリジナルのアピールできるものを考えておくというのは大きな意味があるように思う。
 ただ、単純な自分の紹介ビデオといった手合いのものが良いかどうかは私としては疑問である。その人の専門や個性に応じて、自分をアピールするポスターでも紹介状でも、あるいは自分を分析したデータでも良い。こういうことが現在の自分には可能であり将来性を見いだせるというアピールをするのである。

 企業によってはこうした行動を否ととらえるところもあるだろうから、自己アピールが必ず成功するという訳ではないと思うが、人と同じことをしても差がつかないのであれば差をつける方法を考え出すしかない。そして、それを考え出せるということ自体が自分自身の可能性を証明していることにもなる。