Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

良識の府を愚衆に変えたのは誰か

 参議院良識の府として存在感を発揮すると子供の頃に勉強したように記憶しているが、今の状況を見ていれば間違ったことを覚えたものだと溜息もつきたくなる。そもそも参議院には解散がない。これは、政治の混乱を防ぐために設けられた規定である。その参議院が政治の混迷を深めさせるために利用されているとすれば、現在の議会制度を設計してきた人たちはなんと嘆くことであろうか。
 問責決議(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%8F%E8%B2%AC%E6%B1%BA%E8%AD%B0)案自体を否定するつもりはない。それを提出することが必要なケースもあるだろう。ただし、提出するに相応しい状況なのかどうかを一般国民以上にきちんと考えて、その権利を遂行するのが参議院議員に求められてコトだと思う。この時、その正しさを判断するのは政党ではなく議員個人の良識に委ねられる。
 参議院良識の府として存在するためには、参議院議員は政党の党利党略のピースに成り下がってはいけないということがある。さて現状はというと、、、参議院衆議院での憂さを晴らすための代理戦争の場と化している。

 繰り返しになるが、衆議院の暴走を防ぐためにも参議院が機能しなければならないから、理路整然と国民が納得する理由で政府や衆議院の暴走を止める動きをするのには、私は反対するつもりはない。むしろ、そのような行動自体には主義主張の違いはあるものの、ある種の尊敬の感情を抱くことも考えられる。
 かつて民主党出自の議長であった西岡氏は、同じ出身母体である民主党政権の筋の通らない行動に苦言を呈したことがあった。その行動の是非にはいろいろな意見もあるだろうが、良識の府として自らの良心に基づき党利党略を超えた判断をしたことには一定の敬意を表したい。

 さて、参議院における問責決議自体は何度も提起されているが、現実に可決され始めたのは1998年の額賀防衛庁長官が最初であり、その後2008年以降に毎年の恒例行事として可決されるようになった。この状況が常態化した理由は衆参のねじれが理由であるが、それを望んだのは国民のバランス感覚であったのは言うまでもない。
 おそらく次の参議院選挙にてこのねじれ状況は解消されるのではないかと思うが、そう望むのも国民の声だと思う。自民党の暴走を許したくないことからスタートした衆参ねじれであるが、それが民主党の稚拙さに対する保険になり、そして今は政治を停滞させる重しになっている。

 重しとして認識される一番の理由こそは、参議院良識の府として機能していないという感覚であると私は思う。まあ、現実には良識の府と言われながらもタレント議員などの能力の低い議員の巣窟となってきた感は否めず、呼び名はかけ声倒れだったというのが現実だろう。能力が低い故に数合わせの議員として利用され、結果として益々自らの存在意義を貶めていく。そんな負のスパイラルが継続していたし今も続いている。そのスタートを切ったのはおそらく自民党だし、それを政局として本格的に使い始めたのは民主党である。今回の問責決議も民主党が主導権を取った訳ではないが、結果的には何も変わらない行動に出た。
 良識の府を愚衆に変える種まきを自民党が行い、それを花開かせたのが民主党であると言っても差し支えあるまい。これは両者の共同作業でもあろうが、できれば建設的な面で使ってもらいたい。
 どちらにしても、今こそは参議院の必要性を高めるが故にも議員個人としての良識を発揮する場所になることを望みたい。そのためには、できるならば参議院の定数削減は今以上に思い切って行っても良いと思う。多くの声を拾い上げるのは衆議院に任せて、参議院はより高度な知識や考え方を基に発言できる人たちが属する議院として生まれ変わってほしいと思うのだ。
 まず最初に試されるのは、自らの権益である定数を削減するという大御所からの見地を実行できるかどうかであろう。もっとも、現状を見る限りにおいて実現の可能性は低いだろうし、それ故に参議院廃止の声は今以上に高まっていくものだと考えられる。

 最後には、廃止の機運が最大限に高まった時にでも動き出すかも知れない。