Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

都議選の民主惨敗にみる民主主義の危うさ

 私は民主党自体は現状においても現実を認識できてもいない、とてもではないが政権を担わせるに値しない政党だとは思っている。しかし、その凋落が民主主義における選択肢を実質的に無くしているという問題は、民主党の能力の如何とは別に決して軽んじるべきではないと感じる。
 今回の都議選から、自民党公明党は立候補者が全員当選となった。手堅く立候補をまとめたとも言えなくはないが、それでも両者を含めて過半数を大きく超えているのだから支持が高かったことがうかがえる。加えて、二大政党制の到来とマスコミが煽った付けにより埋没しつつあった共産党が第三党に躍進した。これは過去の経緯を考えれば躍進ではなく復帰だと思うが、それだけ他の野党に魅力がないと見なされた結果であろう。反自民の受け皿には共産党しかないと思った人が少なからずいた結果である。

 元々民主党に期待されたものは、本格的な政権交代であった。その能力が「あるかもしれない」という期待感が二大政党制が望ましいというマスコミが作り出した雰囲気に乗せられて漂っていた。しかし、政権を取ってからの3年間で明確にわかったことは期待は幻だったということである。民主党は自らの行動の稚拙さを軽く見て、努力を前面に押し出して国民の評価を期待しているが、国民は期待が失望に変わったわけだから今は結果でしか評価しない。だとすると、民主党がアピールすべきは政権を担えるという能力を向上させて、その成果を国民に再び評価してもらうしかない。
 しかし、下野後の行動を見ていると見事に野党としての地位を固めようとしているようにしか見えない。批判のための批判を主に置き、責任政党としての振る舞いがほとんど読み取れない。短期的な人気取りを先行させ、長期的な党勢の拡充を図っている姿も見えない。まあ、もとより行政仕分けなどのスタンドプレーにみられるように、実行ではなく見栄えを重視してきた政党だから、まずそこが変えるべき中心だという認識はないようである。

 私は、民主党には10年を超えるであろう今後の野党生活を経て、再び責任政党としての能力と矜持を持ってもらいたいと考えている。それは、現状のような自民党以外に選ぶ政党がないという状況は、民主主義にとって健全ではないと思うからである。今は自民党も下野時代の記憶も生々しいため容易に下手な行動は打たないだろうが、数年たてば記憶も状況も変わる。
 その時でも批判勢力はいくらでも存在するだろうが、代替勢力と言うものが存在しなければ国民の選択肢は狭まる一方だと思う。今民主党が考えるべきことは短期間での政権復帰のような白日夢を呟くのではなく、きちんと政権を担える政党として何を変えなければならず、そのために議員たちはどれだけの勉強を行っていくかが問われているのだろう。

 今のままでいくならば、おそらく参議院選の結果も目に見えている。判官びいきも大してあるまい。それは、国民がその責任感のなさと懐の甘さを痛感しているからである。さらに、民主党執行部は逆だと否定するかもしれないが、大部分の国民はマスコミは民主党びいきだと考えている。
 今、マスコミ自体が国民からの不信感にさらされている。民主党への不信感は、実のところマスコミ不信感と同列ではないかと私は思う。

 ただし、以前にも書いたかもしれないが私は日本と言う国では二大政党制は必ずしもなじまないかもしれないと考えている。それよりは、複数のそれなりに責任ある政党がケースや向かい合う問題ごとに連携するシステムの方が向いていると思うのだ。
 これ以上は小選挙区制改正を問題としなければならないが、今民主党が目指すのは部分的にでも民主党が主導して自民党の活動をリードするような政策提案をいろいろと行ってくことであろう。ただし、その内容はもちろん国民の支持が得られるものでなければ意味がない。そして、現時点ではどれだけ良い提案をしてもネガティブにとらえられてしまうというディスアドバンテージを自ら背負うに至ったということを忘れてはならない。
 その上で、一気の政権交代はおそらく当面はありえないであろう。まずは、政策ごとの連携などを通じて国民の信頼を得ることが重要なのだと思う。何にしても民主党は国民の期待を背負ったことはあるが、信用を得たことはまだないのである。