Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

反日といじめと差別

 特定アジア諸国(中国、韓国、北朝鮮)はいまでも相変わらず反日教育を続けているが、その期間が長くなり教育者が既に反日教育を受けた世代となりつつある。このことは、単にその教育を受けた世代が増えたと言うことよりも、その質が深まっていると言うことに着目する必要がある。
 本当にあったことなのかネタなのかわからないがこんな記事があった(http://kinbricksnow.com/archives/51846299.html)。非常に興味深いので是非ともリンク先の文章を読んで欲しいが、真実の内容かどうかはわからないことを繰り返しておきたい。ただ実際に起こってもおかしくないところが非常に悲しい。そう感じるのは、この中国の掲示板に書かれた文章ではあるが、コメントは賛否両論だと言うことがある。すなわち、愛国教育としては当然とみなしている層が少なからず存在しているという訳だ。日本人の私からすれば、このような教育をすることが正しいとはとても思えず、明らかに認識が異なっている。
 おそらくは、反日の深化とはこうした立ち位置や常識の変化が結果として現れているのであろう。もちろん、反日が一種の政府公認娯楽として存在してることは私も何度も書いてきた。あくまで娯楽だと認識できているうちはまだ問題は小さいが、無意識にまで刷り込まれてしまった時には取り返しが付かないレベルまでの広がりを見せることとなる。現在は、その端境にいると考えても良いかもしれない。

 もちろん、中国国民の多くは政府の胡散臭さを知っているし、本当に日本を心から難いと思っている人民は限られているかも知れない。しかし、その根底には反日を見せないことが当たり前の振る舞いとしてではなく、寛容の心が為せるものとして存在しているとすれば、日本が強硬な姿勢を見せるほどに反日の火は広がることになる。
 それを懸念して一部の人たちは日本側が矛を収めるべきだと主張するが、この言説は必ずしも正しくない。そもそも反日を仕掛けているのは中国や韓国である。しかも自然発生的に生まれた感情ではなく、明らかに国家が主導してそれを推し進めている。これは政府公認の差別なのだ。
 いじめ問題などでも見られるように、人は差別を本質的に好むものである。それを規則や理性により抑え込んでいるのが近代の社会のあり方だ。社会に不満が溜まれば溜まるほど体制維持のためには差別対象が必要になる。近代民主主義国家による人権という概念の普及は、差別をタブーとして厳しく封じ込めようとしてきた。しかし世界にはまだまだ差別は公然と存在し、それを建前で塗り固めているのが現実である。

 日本人は、この差別を受けているという状況をきちんと認識すべきではないだろうか。曖昧な事なかれ主義で収めようとすればするほどに、この状況は悪化していくような気がしている。それは、現状の差別的状況を限定的ではあるものの許容している訳でもあるからだ。一部の日本人が行う悪意のある差別も許す訳には行かないが、自然発生的なそれとは明らかにレベルの異なる差別が公然と教育の中で行われていることを看過できる理由はそれほどあるまい。
 もちろん、だからと言って国際社会において単純にそれを叫べばよいと言う訳ではない。教育内容に関することは原則として内政不干渉という壁に防がれてしまうし、戦争時のことを感情論と共に持ち出されるのもこれまで何度もあったことである。こうした批判を封じ込めるために広報すべき方法をきちんと精査しなければならないのは当然だ。
 ただ、この差別の延長が生み出す日本人への生命危機を予測して、反日教育がマイナスに作用するように誘導する努力は今後もよりいっそう続けていかなければならない。何よりも、まず今日本人は人種差別を国家主導で受けているのだという認識を広げる事が重要であろう。証拠集めを含めて反論の余地がないように理論武装をして欲しい。