Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

甘えが衝突を激化させる

朝日新聞毎日新聞は、言論としては国内的には左派系と見られている。戦前に戦争を煽った反省からだと言われているが、現状において政府や権力には否定的な記事が多い。ただ昨今のニュースを見ていると、戦争に否定的であるにもかかわらず結果的にあたかも戦争を引き起こすごとき報道を行っているのが不思議でもある。
 そこで考えてみると何のことはない。彼らはおそらく戦争を否定しているのではなく、自らのイデオロギーを守るための報道しているに過ぎない。その結果、戦前は右側からそして現代は立場を変え左側から同じようなことを繰り返している。幸いにも、現在では国民の方がむしろ高いバランス感覚を持っているため、こうした煽動に社会全体が揺すぶられることは少なく、社会において言論を先導する立場ではなくなりつつある。

 さて、一部のネット右翼が日中や日韓の戦争を煽っているように書いている記事も多いが、私はかならずしもそれは当たらないと考える。中国での反日デモのように不満の噴出がそこで行われている面が非常に大きい。確かに国内的な暴動が戦争への引き金を引くケースがあることは認めるが、多くの場合国内暴動が国内の政情を不安定化させるからこそ生じる流れだと思う。さて日本の場合はどうかと考えてみれば、一時ほどの世界に対するパワーを失ったとはいえども、現状で国内が不安定化するとは思えない。一部の過激分子におけるガス抜きとしての役割は中国などの場合と変わらないかもしれないが、それが社会を不安定化させる可能性については日本の場合には比較にならないほど小さい。
 とすれば、それが多少目立ってきたからと言って戦争へ向かうという論調は行きすぎではないかと思うのだ。逆に、戦争を引き起こすのは過度の抑制ではないかとすら考えている。この抑制とは、相手側の理性と品格を期待したものではあるが、それが上手く言っていないと多くの人が考えている結果が現在の安倍政権を生み出し、そして世論としてその高支持率に表れている。

 いじめ問題と同列に並べるのが適切かどうかはわからないが、学校でのいじめは多くの場合はあまり反抗しない子供に対して起こる。一匹狼みたいな子供にもそれが生じる可能性はあるが、無視程度まではされてもそれ以上には発展しない。なぜなら仕返しが怖いからだ。
 ところが、温和しい子供に対してはいじめる理由がそれほど無いため最初の内は抑制的ないじめから始まるかもしれないが、反抗しないことがそのエスカレートを招く。さて、いじめている子供達に対して理性を期待できるだろうか。彼らいじめている子供達にとっては、反抗されないことが安心していじめを行える一つの材料になっているのである。
 そして、ある時いじめられた子供の感情が突如として爆発する。それはキレて障害沙汰になるか、あるいは自殺という無言の抵抗になるかはわからない。我慢の限界まで耐える姿は、現状の中国や韓国の理不尽な要求に耐えている日本とダブって見える。
 しかし、日本多くのメディアは戦争はいけないから戦争になるような動きを日本側から見せるのは良くないと説く。言っていることは、喧嘩はすべきではないからいじめる子供がいじめるきっかけを作らないように温和しくしていましょうというものと変わらない。果たして、その結果いじめはなくなるだろうか?私には、いじめはエスカレートするしかないと見えるのだ。

 こうしら論調がなぜ起きているかと言えば、それは「甘え」がその声を上げる者たちにあるからだと思っている。日本メディアの甘えは、日本が依然中国や韓国よりも上にいるという甘えだ。だからこそ、博愛精神ばりに相手に対する過剰なサービスを提供しようとしている。それは結果として韓国や中国の甘えを誘発する。その結果日本のメディアが得られるものは、大いなる自己満足のみである。
 弱者に対する慈しみの心の発揮ではあるが、それが真に成立するのは両者の間に大きな開きがあってこそである。その差が近づけば近づくほどに、慈善による援助は感謝されなくなり利用されるものと成り果てる。なぜなら追いつこうとする側からすれば、自力の努力で手が届きそうな場所にいる相手なのだ。最初からその差を諦めているならいざしらず、届きそうな位置にいるのであれば援助も最大限利用させてもらおうとなる。
 しかし、援助を無条件の正義と考える側からすれば、それがまだ足りないから感謝されないのだとエスカレートさせる。いくらそれを進めても、両者の地位が近づけば近づくほどに相手を勝ろうという気が強くなり結果として感謝はされない。むしろ本音の部分ではライバルとして認識しろと苛立ちすらしているのだと思う。

 とは言え、利用できるものは何でも利用すべきでもある。日本側の結果を顧みない譲歩はこれほど都合の良いものは無いではないか。中国や韓国とすれば、それを如何に長く・多く日本から引き出すかは重要なポイントでもある。気持ちとしては対等に扱えと考えながらも、実質的に存在する多少の差はその援助を利用して埋めようとする訳だ。
 これは、実のところ中国の甘えであり韓国の甘えである。これまでの日本が行ってきた援助を当たり前のものとして認識し、その理由を正当化する。韓国は自前でロケットを発射すらできないのに、日本と月探査の共同研究がしたいそうである。日本側にははっきり言ってメリットはほとんどない。協調という姿のたかりをのうのうと表明している訳である。
 そして、こうした協調関係と呼ばれる一方的な援助関係を失うことを恐れて、様々な方法で日本を責め立てる。これが両国の国民感情を悪化させているとすれば、それこそが本当の衝突を引き起こす遠因だとも言える。尖閣でも竹島でも、譲歩は相手をエスカレートさせるだけでしかない。相手の善意への甘えを今こそ絶つべきだろう。

 今必要なことは、美辞麗句に飾られた相互扶助関係を掲げることではなく、現状を的確に認識してドライとも思えるほどの対等なライバルとしての関係を新たに生み出す事である。それなしに一方の依存関係をなし崩し的に続けることは、両者にとっての破局を近づける。
 愛情も、両者がそれなりのアイデンティティを持った上での関係であるのが理想的ではないか。それが片方が依存関係にあるような愛情は、どちらか一方に異変が生じた途端に上手く行かなくなるケースも多い。日本の左派メディアが真の意味で韓国や中国をリスペクトしているのであれば、まずは一個の国家として対等に扱うようにするのが最も重要ではないか。この場合の対等とは、間違いをしっかり指摘することでもある。