Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

留年

以前にも、私は体罰反対ではないと書いた(暴力のようなものを許容するつもりはない)。しかし、世の中の大きな流れは体罰を一切許容しないような方向性だ。それが最終的に引き起こすのは警察権力の学校内引き入れになるのだろう。近年はそのような報道がかなり増えているような気がする。
加えて考慮されるべきが留年である。義務教育だとかどうかは関係なく、小学生でも留年をさせるという方向に向かうことになるのではないか。

日本の場合には義務教育期間によほど特殊な事情でもない限りは留年という措置が講じられることはない。義務教育機関であると言うこともあって、退学や放校措置は容易にとれないこともあるだろうし、逆に体罰が容認されてきた理由の一つになるのかも知れない。
学校は教えるための場所であり、どんな生徒や学生でも受け入れて最後まで面倒を見る。そう言う前提があるからこそ、生徒達も甘えることができた面もある。私立の進学校であれば退学という処置を取りやすい面もあって、それを知っている学生達は自暴自棄にでもならなければ無茶はできない。もっとも、こうした損得勘定を小学生にまで期待するのは容易ではないが、手の付けられない子供達が増えれば増えるほど、何らかの隔離措置が必要とされるようになる。今は、それが全て教師の責任として押しつけられており、精神力が多少弱い先生が鬱などの精神的なトラブルを抱えることになる。一部の能力のある教師は、困難な状況でも対応できるスキルを持っているのかも知れないが、全ての教師にその能力を身につけろと言うのは不可能な話である。結果的に、一般的な能力を持つ教師が上手く生徒指導をコントロールできるような環境を整えることが求められる。

体罰は、現実には教育ではなく生徒のコントロールに用いられていた。そのコントロールを唯々諾々と受け入れる生徒もいれば、それができない生徒もいる。体罰がいくら問題視されてもなかなか無くならないのは、先生も教育の一環としてではなく生徒達を動かすための一つの手段(必要悪)だと認識しているからであろう。
行きすぎた体罰が良いとは言わないが、それを全て取り上げた上で生徒達を上手くコントロールしろと言われた際に、先生にはどれだけの選択肢が残ることになるのであろうか。いや、不真面目な先生も少なからず存在するし先生の肩を持とうと言うことではないのだが、残された道は留年という抜かずの宝刀をちらつかせることになるのやもしれないと感じている。
そして留年という制度が一度使われ始めると、おそらくこの便利な制度にぶら下がる教師が頻発する。この脅しが、体罰以上に有効となる年代があるだろう。高校生レベルでは単に態度が悪いだけではなく成績が悪い生徒達にも用いられ始めるのに、それほど良心の呵責が無くなっていく可能性は低くない。
現実に、欧米などでは留年は日本と異なりそれほど少ない話ではない(逆もしかり)。それが日常的に受け入れられる社会風土が既にあるからであろう。しかし、それを否定するところから始まった日本の教育現場でそれを用い始めると、おそらく激しい差別や劣等感を引き起こす可能性がある。それを理由に不登校などもでるかもしれれないし、モンスターペアレンツが暴れることにもあるだろう。

そして、それを恐れる教育現場からは留年の積極的採用を望む声は出てこない。でも、四面楚歌になりかねない教員を救う道の一つはそこにあるのではないか。だとすれば、非常に乱暴な話ではあるが、導入の際には国がその責任を負う形で一定の基準を満たさないものは留年を認めるなどの大方針を出しでもしなければ動くまい。
私個人としては、留年が当たり前と認識されるほどに広がった時点であれば、それは一つの方法論として閉塞的な現代の教育環境を打破する手段ではないかと思う。問題はそこに至る過程での歪みや障害を如何に和らげることができるのかであり、それは検討しておいても良いのではないだろうか。