Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

規制は緩和より改革が必要

やや旧聞になってしまうが、こんな発言が出ていたのだが社会的にはそれほど問題とはなっていない。
あらゆる分野を規制緩和しないといけない--竹下平蔵氏(http://matomelog.ldblog.jp/archives/22095535.html
私はどうも「規制緩和」という言葉がスローガンとして独立の価値を持ちすぎではないかと感じている。完全な自由主義でもない限り、民主主義社会には各種の規制が必要である。規制をする理由は、現代においては弱者保護をはじめ社会の公平性を保つことを目的として導入されているものである。確かに、技術の進歩や社会の仕組みの変化により、これまで用いられてきた規制が実情と合わなくなっているケースは数多く存在するだろう。しかし思うのだが、この時に考えるのは本来規制緩和ではなく規制の枠組みの見直しではないのだろうか。その結果として、規制を一部緩和した方が現状の社会情勢に合うのであればそうすればよいし、逆に規制を強めた方が良い場合もある。

規制緩和を言う時に、最初に出てくるのは政府が民間の動きを拘束しているという面ではあるが、それは一面の真理ではあっても全てを言い当ててはいない。規制が用いられるにはその導入に係る経緯が必ず存在する。それを無視して緩和のみが先立つのはどう考えてもおかしい。だから、規制は緩和されるのではなく見直されるべきだというのが正しいと思うのだ。
竹中氏が言っていることも実情としては見直しなのかも知れないが、規制緩和という言葉が先立ってしまえばそうは見えない。あるいは、現状の規制は相対的に厳し過ぎるので社会の実情に合わせるならば大幅に省くべきという信念のもとで行動しているのやも知れぬ。ただ、私は現状の規制は部分的には行き過ぎているとしても、全体的に俯瞰すれば必ずしも必要のない規制ばかりだとは思えない。

構造改革」という言葉は、本来規制の緩和のみではなくシステムの組み換えを意味すると思うのだが、あたかもそれが規制緩和と同意義のように用いられているのがおかしいと思うのである。竹中氏が言っているのは産業分野に特化したものかもしれなが、産業分野のみを考えても必ずしも規制を緩和すればすべてハッピーとはとても言えないと思う。競争力を付けるために厳しい条件に置くというのは一面の真理ではあるが、それは条件が甘い場合にそれを公平にするということでは説得力がある。しかし、不公平なまでに厳しい条件下での競争に追い込むことは、結果的に市場の寡占化を進めることになり、一部の勝ち組企業の一時的な繁栄はシステムとして担保できるかもしれないが、同時にその企業の寿命が短くなりドラスティックな交代劇が続くような社会になるように思えるのだ。
国民がその交代劇の影響を受けずに済むのであれば問題ないかもしれないが、実際にはそうはいかない。規制はこうした企業の淘汰についてもマイルドする社会的なダンパーの役割を果たす。もちろん、それは落ちゆく企業に対する側面的な補助となり社会的な不公平感を感じさせるかもしれないが、社会の持続的な成長を考えたときに革命のような大きな動きが頻発するような状況は必ずしも望ましくないと思う。
とは言え、役割を終えたゾンビ企業をいつまでも生きながらえさせようと言いたいわけではない。規制はその緩衝材として役立つように考えるべきではないかということである。

世界的な競争の中で、そんな甘いことを言っていては勝ち残れないという声もあるだろう。しかしデフレ下の不毛な値下げ競争を国内で見るにつけ、単純な競争激化は企業の成長そのものを阻害してしまう危険性も大きくはらんでいると思うし、それは結果的に国民の不安も増大させる。
国がすべきことは、激しい変化には緩衝材としての役割を果たすことも考えた上での、規制の見直しであってほしい。結果的には、少しゆるいくらいの方がうまくいくような気がしている。