Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

公共工事の必要性

自民党公明党が国土強靱化政策に基づき公共事業の復活を提言しているが、メディアや識者の多くはむしろ否定的な意見を持っているようである。公共事業などは時代遅れの産業であり、新しい産業を生み出さなければならないという声も少なくない。
同じ様な話はエネルギー問題でも聞かれるが、新エネルギー開発は何よりも重要であって利用するエネルギーも必ず変わっていかなければならないような雰囲気が漂っている。
しかし、私には一部政治家やメディアが煽っている公共事業悪玉論には大いなる違和感を感じている。無秩序なそれに問題があるのは間違いないが、公共事業が行われることすらを原理主義的に否定する傾向が見られるのは、さすがに度が過ぎるのではないかと言うことである。

公共事業の有効性を考える上で、短期的経済活動(民間・公共)と長期的経済活動(民間・公共)の区別をしておく必要がある。多くの場合は、公共事業推進派の人は短期的な経済効果をもってその有効性に言及し、公共事業反対派の人は短期・長期的な政府・自治体などの公的セクターの支出増加を問題視する。
たくさんの公共事業を作りすぎるのは維持管理費が莫大にかかり、無駄遣いだと言うわけだ。それはすなわち、「公共事業ばらまき論」は言い換えれば財政収支をどう考えるかに等しい。
公共事業推進派は財政はまだ大丈夫と考え、公共事業反対派は財政はもう保たないと考えているということになる。さて、それでは財政はこのまま維持しきれないのであろうか。確かに数字上において日本は世界最悪レベルの政府債務国家である。政府債務は1000兆円に達し、GDP比で200%を超えている唯一の先進国でもある(http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/007.htm)。ちなみに世界最悪はジンバブエ(実際にハイパーインフレとなっている)であり、統計上日本は世界第2位の燦然たる地位を誇っている。
ところが、日本の長期金利は世界でも最低レベルに位置している。アメリカよりもドイツよりも低い。日本が極端な為替操作国であるならばともかく、世界でもかなり自由で公平な国家なのだから、本来は日本の金利は政府債務を懸念すれば上昇してしかりであるが、現実にはぴくりとも上昇しない。一部マスコミは少しの変化で騒ぐが、2%を超えてくれば多少は問題にすべきだと思うものの、1%を切っている現状で日本のデフォルトを信じているものはどこにもいない。

さて、財政の不健全さを問題とするのであれば、現在の日本で最も問題とされなければならないのは保健医療と年金である。マスコミなどでも何度も繰り返されているが、その支出は毎年1兆円ずつ増えているという。考えてみれば、国の公共事業費は当初予算で平成9年、補正も含めて平成10年が直近の最高額であり(http://www.cao.go.jp/sasshin/seisaku-shiwake/common/pdf/handout/322876ac-0d37-c83e-7693-4ec90985b9c2.pdf)、現在は当初予算で5兆円程度となっている。
これに対して、社会保障費の直近の数値は90兆円を超えている(http://www.mhlw.go.jp/bunya/shakaihosho/seminar/dl/09b_0002.pdf)のだからその差のあまりの違いに唖然とする。正確には地方の公共事業費などを加えればもう少し差は縮まるかもしれないが、それでも社会保障費の方が圧倒的な事実が変わるわけではない。
本当に財政がやむを得ない状況であり根本的に何かを変えなければならないのであれば、切り込むべきはおそらく社会保障費であるのが当然である。しかしながら、一体改革のかけ声はよいものの現実には増税のみが決められて社会保障費には十分には手を付けることは出来ていない。何のことはない。国民全体の反対を受けやすいものには手を付けないということではないか。

今の日本に必要なのは、縮小均衡のスパイラルを拡大均衡に戻すことにある。少子化の影響もあって人口増大期と比較すれば難しいのは間違いないであろうが、だからといって縮小均衡を是とするのは根本的におかしい。その折に、経済に刺激の高い要素を最初から難癖を付けて排除する理由はないだろう。
公共事業悪玉論は、結果的に財政均衡主義のスケープゴートとなっている感が強いのだが、先ほども紹介したように支出額を見れば社会保障費の方が10倍以上多いことを考えれば、ここにきての公共事業悪玉論はさすがに苦しいのではないか。少なくとも公共事業が悪玉として挙げられて以来経済が拡大してないとすれば、その分析を確実にしておくことは重要だと思うのだが、その分析が為されているのを全くと言って良いほど見たことがない。

確かに、一部業者と政治家や官僚(地方自治体も含めて)の癒着があったのは事実である。これは、一定のシステムが長らく続けば必ず生じる制度疲労のようなもので、生活保護問題や年金の不正受給も同じような延長線上にある。だから、不正を許さないように制度を変える必要は当然あるが、それが即公共事業不要論に結びつくのはおかしくはないか。
別に、不要な施設を増やせなどという議論が噴出しているわけではない。大切なのは、不必要と判断される監視システムと評価システムの欠落であって、それを備えることが出来たなら公共事業はやはり必要なものと言える。
私は、国は国民のための装置だと考えるので、装置の健全さと国民の幸福を比較すれば後者が前に来るべきではないかと思うのだ。