Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ポスト金融マン問題

金融危機の急性化から慢性化への変化に伴い、金融機関は人員削減に精を出し始めた。外資系の象徴でもあった金融マンはハードワークと高給の象徴でもあり数多くの成功者を輩出してきたが、そのフィールドは急速に縮小し始めている。
その大成功は、一種金融ゲームと言った娯楽の延長にも似ており、そのゲームに張られる資金が減少すれば、それだけ分け前も少なくなる。資金の切れ目が縁の切れ目とばかりに、無慈悲な人員削減が進められることになるが、それもこの業界の宿命と言っても良いかも知れない。問題は、予想以上にこの分野に関わる人が増えてしまったことから、今後金融取引の分野で雇用できる枠が縮小を続けるならば、間違いなく高給を求めて群がった人々があぶれ出すこととなるだろう。
ただ、世界は我が物顔で振る舞った金融村を基本的に抑制する方向で動いている。金融立国を目指したアメリカですらオバマ大統領の再選を見るように、ウォール街に対して国民は冷たい視線を浴びせており規制は厳しくなる方向に歩みを進めているし、現実に一世を風靡した大規模なヘッジファンドの多くは廃業や縮小の憂き目にあわされており、残っているのは投資銀行系や年金資産などの活用を行う比較的堅実なファンドが目立つ。すなわち、金融ゲームに浸り巨大な利益を得ようという風潮は大きく後退しているというわけだ。もちろん、現在でもそれを狙う存在がいないわけではない。ただ、全体的なレバレッジ低下は業界の傾向を表しているのも間違いないであろう。

利益率が低下すればそこには人が徐々に集まらなくなるし、またこれまでと同じような高級を支払い続けることも困難となる。社会規範が金融というマネーゲームによる不当な利益に寛容ではなくなった。アメリカンドリームではないが、金融という仕事により成功してきたひとは昔から少なくない。ただ、日本でもそうではあるが製造業やサービス業などの実業に対して、金融はどちらかといえば付加価値を生み出さない虚業という認識が根っこの部分で少なくない。特に、大きな金融危機を引き起こしたリーマンショック以降、急速ではないものの人々の心の中に特にその意が強くなったのではないかと思う。
さて、バブルのごとき金融業界の拡大に大きくストップがかけられた現在、金融マン達は一攫千金どころか職を得ることにすら苦労する時代がやって生きている。現在も停滞した経済を背景に大規模金融機関が積極的に人減らしに勤しんでいる。
日本において外資系に勤めることは大きな報酬を得る可能性があると同時に、いつ首を切られてもおかしくないという状況にあると認識されている。本来は外資系といっても様々であろうが、ステレオタイプな認識としてはこんなところだろう。加えて日本の大手投資会社などもグローバル化のこの時代、実質的には変わらないものと認識されている。
それ故に、金融機関を解雇されるものが多く発生したとしても、そのニュースは比較的他の業界よりも軽く扱われている。また、これまで多くの収入を取っていたのだから「ざまあみろ」くらいの気持ちで見られていても不思議はない。実際には激務やハイリスクを受けての高給とも言えるが、そこまで配慮してくれるほど世間は優しくない。
そして離職した人たちは、かつての栄光故かあるいは新たな一攫千金を求めてか、同じような道を歩もうとする。一部道を外れて詐欺的な商売に足を踏み入れる人もいるだろう。

建設業が当初そうだったように汎用性の低い技能により糧を得ていた場合、多くの人は容易に業界を移動することが出来ない。加えて、かつての給与が高ければ高いほどに心理的な移動障壁が高まっていく。斯くして、ポストドクターならぬポスト金融マン問題が徐々に進行しているように思う。
政治も金融危機を受けて、金融立国というかけ声はほとんど聞こえてこなくなってきた。こうしたものは基本的にバランスであって、突出しすぎても良くないが萎縮しすぎるのも問題である。無理な投資立国をごり押しするのは問題ではあるが、産業の潤滑油としての金融産業はやはり不可欠であるのも間違いない。一攫千金ではなく堅い職業としての金融の再生が図られることを期待したい。