Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

無駄と多様性

世界市民的な発想は理想としては意義を持つが、その実現は却って世界を不安定にさせる危険性がある。同じことは、いじめ撲滅や暴力根絶などから平等な社会というスローガンまで全てに渡って言えることでもある。もちろん、それを目指す考え方が悪い訳ではない。ただ、それらは永遠に追い求めるべき課題であり、恒久的に実現しないからこそ尊いのだ。仮にこれらのことが一時的あるいは局所的に実現したとしても、おそらくそのことによる歪みはかなり大きく膨れあがり、結果的には軽い矛盾がある状態よりも事態は悪化してしまう。
いじめは地下に潜り、暴力は法律逃れの方法を熟知するようになり、そして平等の過度の推進は新たな不平等を生み出してしまう。社会や世界を一つの色に染め上げることは不可能であると同時に、却って社会の安定を損ない体制の維持を毀損する。究極の理想だからこそ、決して実現することがない人々や社会に課せられた義務であるのだ。

だとすると、現実の社会とはその究極の目的に何度も挫折しながら向かっていく飽くなき態度が重要となる。それをコンビニエンスに成し遂げられると過剰な自信に陥ったり、あるいは実現不可能と諦めてしまうことは方向性こそ違えど同じような義務の放棄に当たる。
こうした永遠の試行錯誤を繰り返すべき舞台としては、何かに一つ偏った歪んだ世界ではなく、あるいは完璧な規律により成立する世界も該当しない。同時に全くの混沌については言うまでもない。私達が必要とするのは適度な多様性の存在する世界である。それは一見無駄の多い社会に見えるし、社会が受ける利益は短期的に極大化しない。少し前まで韓国経済を見習えと言っていた評論家達もそろそろ口をつぐみ始めた。別にここに来て急に悪化した訳ではなく、韓国は自ら進んでその狭い道を歩み、そして一時的とは言え日本経済にも大きな脅威となり得た。
ただ、多様性を削り一極集中するそのスタイルは嵌れば利益も大きいがその分ピーク期も短い。世界のほんの少しの乱れがその成功に大きくのしかかる。一方で、日本は確かに至らぬところも数多くあるだろうが、ピークの大成功よりは持続的な成功を目指している社会である。
その教訓はバブル崩壊によりもたらされたものかも知れないが、仮にそうであれば日本は非常に幸運である。世界に先駆けてその勉強を先に済ませていた訳だ。

そもそも、社会でも人生でも本当に楽しみは目的に至る過程にある。目的は実質的にモチベーションをかき立てるための手段であることも多く、必ずしも究極の到達点とは限らない。私達が小さな目標を達成したとき、それは新たなる目標を設定するスタートラインでもある。
さて、次々と新たなチャレンジが始まるのだとすれば、一つの目標に特化した体制作りとは必ずしも良いことではなくなる。むしろ、いつチャレンジするかはわからないもののその準備が出来るような多様性を持ち続けていることは、短期的には無駄であったりデメリットも感じるであろうが、結果的に持続性を維持させる可能性は高い。
生物が多様性を保っている一番の理由は、結果としての種の保存を継続するためではないかと思う。私達の社会や国家や企業、あるいは家族やコミュニティーでも、その持続性を重要視するのであれば、つながりを破壊しない程度の多様性を維持する方が望ましいのだ。

さて、多様性が重要だからといって世界平和やいじめを看過して良いというわけではない。ただ、私達が暮らす社会はもともと多様性という土台を持っているのであるから、それを根絶するというのは必ずしも成し遂げられない永遠の課題として取り組むべき問題なのだろう。