Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

維新民主化懸念

小沢鋭仁環境相>民主離党し維新合流へ 閣僚経験者初(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121114-00000058-mai-pol

民主党の崩壊が止まらない。野田総理党首討論で16日の解散に触れ(正確には「次期通常国会で(衆院の)定数削減を必ずやると決断してもらえるなら」という前提付きだが)大きな流れは固まってしまった。この明言で、民主党執行部がいくら抵抗しようが押し止めることは容易ではなかった。解散先延ばしに時間稼ぎのみではあるが期待を抱いていた議員も、脱兎の如く逃げ出す準備にかかり、実際その動きは今も続いている。
さて、民主党の面々が逃げ出す先として「国民の生活が第一」が元民主党のグループとして存在するが残念ながら勢いと話題性に欠けるし、元小沢派でなければ近寄りがたい面もある。おそらく次の選挙では影響力は相当減じられるであろう。だとすると、、、ということで小沢鋭仁環境相の動向は今後を占う上で試金石となる。既に「日本維新の会」には民主党を離党した3名の衆議院議員が所属しているが、更に受け入れていくのかが問われるであろう。これは何も選挙前のみには限らない。
減税日本も合流に期待を抱いたが、むしろ今後の入党者に対する踏み絵として切り捨てられた感じすらする。

それでも、現状としては「日本維新の会」もその先を見据えるにはいろいろとジレンマを抱えている。できれば既に議員を経験している実績のある人間は欲しい。自民党側からのこれ以上の離党は容易に望めないであろうから、これまでの状況であれば引き入れるとすれば民主党側からと言うことであった。幸いにも、石原氏の率いる太陽の党を合併吸収(というか私のイメージでは数を手土産に石原氏が最後の花を咲かせる感じ)が発表され体制的には少しはマシになったが、それでも大きな躍進を目指すにはまだまだ手薄であると感じざるを得ない。その意味では、選挙前に実力と親和性のある民主党議員はやはり欲しい。
ただ、無頓着に民主党議員を受け入れることに民意が否定的であることも感じており、その方法論について悩んでいるところではないか。少なくとも、当初受け入れた政党としての基礎を確立する(5名以上の国会議員を保有すること)時期とは状況が異なるため、有能な議員は欲しいが無能な議員はいらないと言うことになるだろう。有能な議員とは、自力で選挙が戦えて政策的な経験があるものということである。維新が受け入れる姿勢を示せば、雪崩を打つように民主党議員が押しかけることすらあり得るだろうが、状況認識に敏い橋下市長はそれは行うまい。民主党議員を抱え込むことによりイメージという負の遺産まで民主党を引き継ぐことはないだろう。

ともあれ、選挙に向けてだけでなく選挙結果を受けての離合集散も当然の如く湧き起こる可能性は高い。石原新党(太陽の党)との合併が、新たな政界のガラガラポンを引き起こすこと私も期待するところではあるが、私のイメージでは現状において民主党の残党が近づきやすい政策を掲げているのが日本維新の会であると思っている(消費税は別)。選挙前後に生じるかも知れない政界再編の末に、気づけば元民主党議員ばかりとなってしまわないことをできれば祈りたい。
民主党にも有能な議員は何人かいるが、そう言う人ほど自らの矜恃に殉じて民主党に残るような気がしている。もちろん、行き先のない元社会党系の人も残るだろう。その結果、非常に政策の方向性が不明瞭な「民主党」という変な政党が一定の数を持って残る気がしている。
そして、自民党が保守を糾合するすることになれば、その対立軸としての維新は立場的に現状の民主党と変わらない状況に陥る危険性がある。もちろん、橋下市長の個人的裁量や太陽の党などとの合併で外交的な保守色は高めるかも知れないが、それでも内政的なあるいは経済的な面は対立軸として提示せざるを得ない。それ故、保守色を高めた自民党と対立路線を取るような状況に追い込まれれば、その立場がおそらく維新の民主党化を後押しするだろう。
もっとも、現状で維新が政治の中心軸のポジションを掴めるかどうかはわからない。また、トップを石原氏としてさらに実質的に締めるのが個性の強い橋下市長とすれば、この体制の下で政策など一致団結できるかどうかも不明瞭だ。崩壊しつつある民主党政権の最も大きな問題は、批判のみに終始してしまった、、というかそれしか能力がなかったというプロ市民の政治家版であったことが全てである。それは何かを打ち破ろうとしたというカタルシスを当人達に与えるかも知れないが、国民は実質的に何も享受しない。あくまで可能性の一つとして、結果として同床異夢の人間が好きなことを言うというスタイルとしての民主党の轍を踏まないように気をつけて欲しいと願うところである。