Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

金融と成長の先食い

未だに引きずっている欧州金融危機のきっかけでもあるサブプライムローンにしても、日本の今後の財政問題に大きな影を落としている年金問題にしても、双方ともそのもっとも大きな問題点は制度の不備や担当者の不作為ではなく、詐欺的行為に見られるような将来の富の先食いである。
「金融と産業は経済発展の両輪である」とは良く喩えられるフレーズであるが、異様に肥大化した金融がゲームのように投機に興ずれば、おそらくそれに支えられた経済発展という車はまっすぐに走る事は出来ないであろう。
今では、一時の異常なまでのレベルのレバレッジは相当なまでに縮小し、かつて隆盛を極めたヘッジファンド達も見る影もないと言われるが、それでも負うリスクはヘッジファンドには及ばないものの数多くのファンドは目を鷹のようにしてより高利率の投資先を探している。

ところが、おそらく現実の世界の成長は全ての投資資金が想定しているよりもずっと緩やかだ。高利回りは一部の成功した運営以外は成し得ない。結果的に何が起こっていたかと言えば、詐欺的な行為と言えなくないが将来の成長まで現在の利益として取り込む行為であったと思う。
それは現実の投資では大々的にできるものでは無いが、証券化という魔法のシステムによってわかりにくい形で広げられた。もちろん、刃物は危険さを有しながらも使いようによって非常に役立つように、こうした証券化なども実社会にメリットを及ぼすことはある。だから、仕組みが全ての元凶たる悪という訳ではない。仕組みは道具であり、あくまでそれを利用するものたちの意思と倫理が重要なのだ。

日本のバブル崩壊とその後の失われた20年は、自体経済が暴走したことにより生じた負債を支払うことにあったわけで、その教訓を経て今の日本は過度に臆病な社会になりすぎている感じすらある。一方で現在の世界は日本の場合と単純に同じではなく、実体経済だけでなく金融の暴走が引き起こした惨状でもある。金融が壊れれば、実体経済も莫大な被害を受ける。それゆえに、まず金融を救済してきた。ただ、本当に重要なのは架空の利益を計上する金融を拡大するのではなく、実際の利益を計上できる実体経済であるべきなのは当然だ。問題は、過度の投資利益を追い求める資金が溢れてしまったことで、資金の暴走が生じやすくなっていることがあると言えるだろう。
私達が目指すべきは、金融が社会の生むであろう利益を先食いする仕組みではなく、社会が生み出す利益を持続的にする仕組みである。それは結局のところ資本が求める本能的な増殖を何らかの形で抑えるという事にもつながってくる。
自由主義は、生産活動においても金融のあり方についてもその増殖を抑制しないが故にある面で罪深い。社会が妥当なレベルを決めるのは事実であろうが、そのための振れ幅が大きすぎるとすれば、結果的に社会が得るベネフィットは最大化しない。
それに翻弄されない人のみが勝ち残るというのも一つの見識ではあるだろうが、おそらくそんな社会は民主主義がきちんと機能しているとすれば承認されないであろう。

今、世界が考えるべきはより大きな成長ではなく持続できる社会である。それは資源問題だけではなく金融の世界にも言えるのではないだろうか。ただ、日本の現在の有り様は繰り返しになるが守りに入りすぎているという面もある。金融の暴走は防ぐべきだが経済全体の持続的な成長は同時に目指すべき目標だと言えるだろう。