Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

政治から見た弁護士

世の中の政治家を見渡せば、二世三世議員以外では弁護士とタレントがよく目立つ。ジャーナリストもタレントに含める程度で良いと思うが、特に最近では政治の主要な部分を弁護士出身の政治家が担う事も増えてきた。私は政治家の世襲制は望ましくはないが、だからといって駄目だとも思わない。どんな世界でも世襲に胡座をかく二代目は駄目に決まっており、だからといって二代目の全てが駄目とも限らない。結局のところ個人の資質をみるしかないではないか。だから世襲というレッテル自体には何の意味もない。当たり前のことである。

さて、思いつくままに弁護士出身有名な政治家を少し書き出してみると、
橋下大阪市長、枝野衆議院議員、仙谷衆議院議員、、、、他にも山ほど存在する。
弁護士とは、法律という体系の中でのネゴシエーターすなわち交渉役である。もちろん、相手方は法廷において存在する。そして、証拠や論拠を駆使して、自分の側をより有利になるように丸め込む。その大前提は法律である。
ところが、政治家に求められるのは国内的にはネゴだけはなく理想を作り実行する力。人を惹き付ける力であり、国際的には逆にネゴは必要となるがそこでは日本の法律は役に立たない。
弁護士としてのスキルではなく、おそらく人間的な胆力が重要となるのだろう。

一方で、政治を理解する上では法律に精通している弁護士は非常に政治に近づきやすい存在ではある。ただ、弁護士としての地位が政治にフィットしやすいが、逆にそのスキルがレトリックに走らせやすい。政治主張は、道具・レトリックとしてのそれではなく希求すべき目的である。政治家に最も必要なことは、弁舌の技術ではないとは当たり前のことではないか。ただ、逆に人が良ければ政治家に向いている訳でもない。政治という大きな何かを動かそうとする時、多くの人を惹き付ける能力がやはり重要となる。それはポピュリズムという言葉で否定されがちではあるが、欠くことのできない資質の一つでもある。それのみでは駄目ではあるが、それがなければ政治の中心は担えない。

さて、弁護士は政治家への近道ではあるが、政治家に最も向いていない職業でもあると思う。それは弁護士が政治家として自らの能力を駆使して弁護士らしく振る舞うほどに、政治は迫力と誠実さ、すなわち信用を失っていく。仮に、弁護士か政治家と大成するつもりがあるのなら、弁護士という殻を脱ぎ捨てる必要があるが、議会における議論やマスコミへの対応などを考えれば、スキルとしての弁護士らしさはおそらく捨て去ることができないであろう。
議論の巧みさは一見華があるように感じられるのは事実である。それは、弁舌巧みに入信者を集めていったオウム真理教でもわかるであろう。ただ、その技術はあくまで道具に過ぎないとすれば、それのみにしかとどまれない弁護士は最も政治に向いていない。