Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

年金の不正受給

少し前に、親の死亡を通知しないことで年金の不正受給が数多く存在することが明らかになった。この件については、以前より将来的には150歳の老人が頻発するなどとして問題とされていたものではある(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1331100393)が、なかなか報道されて社会問題に至るものでは無かった。現実には調査がおざなりだったとはしても150歳は言い過ぎではあるが、この件が明るみに出てから報道は継続している(Sankei web:http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120930/waf12093018010020-n1.htm)。
親の白骨化した死体と暮らすケースも見られるセルフネグレクトhttp://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201103070543.html)と呼ばれる状況は、年金不正受給問題としての見地もあるが、社会からの脱落という面を見れば生活保護問題とも密接にリンクしている。

要するに、社会(家族)が多くの雇用(高齢者の役割)を必要としなくなることで居場所と収入を無くしてしまった高齢者が、己の生き方を見付けられずに浮遊しているのである。それは、引きこもりの高齢者版でもあるだろう。何も、ニートが若者(最近は中年まであるが)の専売特許ではない。
高度化・専門化した社会システムから、何らかの理由でドロップアウトしてしまった人たちは予想以上に多い。
こうした問題について、極端な意見としては二つある。
一つは徹底的な自己責任の追及だ。社会からのドロップアウトは本人の責任として、社会コストとしては負担しないという方向である。もう一つは、弱者保護を徹底的に行おうという方向である。生活保護は権利であり、どんどんと使うべきという主張などは後者に位置すると思う。
もちろん、現実は両極端に振れる訳ではなくその間において社会が合意できるポイントを探し続けている訳ではあるが、社会に不満が溜まれば溜まるほどにこうした問題に対する極論が大きくなる。

考えてみれば、単純に国民年金のみであれば現状満額で6.5万/月ほどでしかない。その費用で暮らせるのかと言えばもちろんそれは無理である。状況によりいろいろとあるだろうが、一人暮らしの老人世帯であっても10〜15万は最低必要ではないだろうか。結果として、高齢者がその親の年金まで受給する上記の不正はいつまでも続くことになる。仮にそれを得たとしても、最低限の生活しか送れなかったとしてもである。
現実には、生活に困窮する状況であればこうした高齢者達が生活保護を受けることはできるであろうが、生活保護の前提が本来は社会復帰を促す制度であるというのも問題をややこしくさせている。既に働くことができなくなってしまった人は、どの制度により生きながらえればよいのか。
現状は親族に支えてもらえということになるのかもしれないのだが、それを可能とするためには制度どうこうよりも社会の景気が向上することが実は最も重要である。
自助努力は、好景気時には比較的容易に達成できるかもしれないが、不景気時にはかなり難易度が上がってしまう。
高齢者ではなくとも、障害年金などを得られないレベルの障害者などは同じ様な問題を抱えている。年金の不正受給のニュースを見ていると、病気の親族が関係しているケースも頻繁とは言えないがちらほらと目に留まる。

こう考えると、年金の不正受給については今後も容易には無くならないのではないかと感じる。なぜなら、それは不正受給により余剰の利益を得ているのではなく、生きていくための最低限の収入を得る方策となっているからである。確かに個別のケースとしてはいろいろとあるだろう。ただ、こうした問題を真の意味で解決できるのは実のところ制度ではなく社会の余裕であって、それは不景気下では実現しにくいのだ。