Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

現代日本の戦争

APECにおける野田総理と韓国李明博大統領との笑顔での握手に、いくつかの場所で疑問が呈せられたり反対論が上がっている(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120913/plc12091308050004-n1.htm)。両国の意見対立があることは承知しているし、韓国の傍若無人は許されるべき範疇を超えていると私も思う。ただ、これを単純な感情の諍いだと考えるのは少々感傷的すぎるとも思っている。
私が思うに今後の日本のスタンスを考えれば、野田総理が笑って握手するのは必要なことなのだ。別に諍いを忘れて真の友好を果たそうなんて一部新聞が言うようなお花畑な理由ではない。それは現代の国際社会で密かに繰り広げられている戦争において必要なことだと思うからである。

とは言え、ちょっとわかりにくい論理だと思うので、少し書いてみたい。まず、韓国の言いがかりに似た行為は韓国内の世論に配慮したパフォーマンスであることはわざわざ指摘するまでもないことだが、過去から韓国経済が厳しい時期にこのような歴史認識問題が蒸し返されているのも事実である。そして、日本はそこで譲歩して金融的な援助を幾度となく行ってきた。
心の問題と言いながら、実質的には金の無心にやってきていると言えなくもない。決してしたたかとは言えない下品な手段ではあるが、日本国内のセンシティブな勢力が助力することもあってこれまでのところは効果を発揮してきた。ただ現状に至っている理由は、実のところ日本において国民の多くが知らずのうちに戦ってきた経済戦争の無自覚さが極まったものではないかと思う。
世界に一方的な不平等が蔓延していた時代は、先進国と発展途上国という2つカテゴリーにより世界は分類され、結果的には先進国同士の競争と共に先進国が発展途上国の富を貪るという流れが存在した。世界的な経済戦争は少数の先進国同士による少ない敵と戦うことでよく、不足分はどちらかと言えば競争に劣勢なところが発展途上国から富を移動する傾向があったように思う。一時期の日本のような製造業の競争力が強かったところは先進国間競争でも勝ち抜けたので、そのことをあまり感じずにも良かった。中国が少し前からアフリカなどに大きく進出している流れも、資源確保という側面もあるもののこの流れの中にあると思う。
アメリカはその競争の中で製造業での競争から金融戦争へと舞台を変えた。日本は成功に浮かれてその変化への備えが不十分であったことも今に至る理由としてあるだろう。

また、先進国間の競争のみでは飽き足らなくなってきた国際資本は、発展途上国の消費も期待するようになりそこに資本を投下した。それは、消費者を開拓することにも繋がるが、同時にライバルを増加させることとなり、結果的に仁義なき戦いに参加する国々の数は近年飛躍的に増えている。
世界が平等であるという価値観によればこれは当然の流れであろうが、それはすなわち先進国が今まで持っていた利権を失うと言うことでもある。ただし、そこで一般の戦争とはルールが少々異なっているのが特徴としてある。それは、行動が独善的でないと言うことだ。すなわち、同じ様な価値観・あるいは経済的利益を求める国々が集まることで、人が容易に死なない経済戦争は優劣が決する。
韓国が日本を貶める行為を続けるのは、それにより日本の意見に賛同する国が少なくなれば、結果的に経済的なメリットを韓国が得ることができるようになるためである。
自分たちと価値観を共有する仲間(国)を少しでも増やそうと思えばそのためのロビー活動も必要だが、同時に世界の国々からどう見えるかが重要になる。最初の件で言えば、日本は実際には様々な経済制裁をしていたとしても、表向きは友好を強調して行くことが必要なのだ。
考えてみれば、中国なども昔から言葉では友好を謳いながら裏では締め付けをするなど、そうした外交をずっと続けてきている。むしろ最近の方が、裏と表の違いが少なくなっているくらいである。

韓国は盛んにロビー活動を行っており、日本も負けないようにと言う意見も少なくない。もちろん、韓国の嘘を垂れ流すような状況を正すそれは必要だろうが、それ以上は表向き友好関係を演出して世界にアピールをすると同時に、裏側できちんと圧力をかける。それが重要ではないかと思う。二国間の問題は、その間でどれだけ揉めようが世界は基本的に興味がない。
韓国の露骨なロビー活動は一見成功しているように見えるかもしれないが、私は逆に世界に対して韓国の異常性を伝えているような気がして仕方がない。
今日本が戦っている戦争は、公式な場、他国の参加する場での品格と公正さを確保しながら、同時に二国間では状況に応じて相手を遣り込める。そうしたものではないだろうか。残念ながら、無自覚に貿易経済戦争に勝利していた過去の栄光が、日本人にその当事者意識を失わせているのが今はもどかしいのだが、それでも徐々に意識は変化していると思う。
経済戦争では、その品格と論理的・理知的な正当性を確保することが重要だと言うことを考えていきたい。今までの日本はそれを有していた。そして、今後も失わない努力は必要なのだと思う。