Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

教育委員枯渇

大津の中学生自殺事件はいじめ問題の根深さを示すと共に、教育委員会が如何に機能していないかを広く世間に知らしめることとなった。教育委員会http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A)については既に大阪市の橋下市長が問題提起しており、その見直しが今後は必至であろうがこれまで作り上げられた仕組みが容易に覆されるものでもない。
現状の教育委員会事務局は、形式的には所掌する学校の監督を行う立場ではあるが特殊な問題に対応できるようなものとはなっていない官僚的な機構となっている。確かに事務局は事務方であって、必要に迫られない限り教育状況の改善よりは現状維持の教員擁護の立場を取ることが少ない。
本来は教育委員がその甘えを許さないように実質的な主導権を握らなければならないが、教育委員の多くが非常勤であって名誉職的な存在となっていることが大きな問題となっている。

それ故に、教育委員会制度を廃止して新しい仕組みを導入すべきだという意見もあり、あるいは教育委員を公選制にすべきではないかという意見もある。ただ、最高裁の裁判官の信任投票でもほとんどその適性を判断できるほどの情報も得られないのに、公選制にしたからと言ってもそれは信任されたという建前上のお墨付きを与えるだけであって、実効的な役割を果たせるとは考えにくい。
現状の教育委員は、責任も曖昧だが権利も不十分という非常に小さな損柴にされているのが問題なのだから、名目共にきちんとした職責を果たしてもらうように位置づけるのが最も必要なことであるというのは正論ではある。もちろんそれ時応じた報酬を支払うことも必要となる。
ただ、教育界の一般論はなかなか世間一般に理解されにくい部分も多く、実質的には教育者しか大きな任を負えないというジレンマが問題となる。幅広い分野からの参加を呼びかけようとすればするほど、責任を限定せざるを得ないというわけだ。
こうした状況を上手く利用して、教育界が実質的な監督機関である教育委員会を上手く利用しているというのが現状における最大の問題点であり、改善すべき争点となっている。もちろん、多くの熱意ある教師の方々が存在するのは誰もが知っているし教育者の全てが腐敗していると言うつもりはないが、ただ監視や交流の少ない世界が徐々に腐敗していくのはどんな場所であっても止めようがない。

それ故に教育委員を含めた教育委員会の見直しが叫ばれると考えて良いし、実際にそれはなされなければならないだろう。ただ、少数の教育委員にそもそも教育界の全てを見渡して適切な対処を促すと言うことは元々不可能な仕組みだと思う。それが上手く機能するためには教育委員会事務局が教育委員と同じように自主的に問題点の洗い出しや対処を常に探るような仕組み、それを有効にさせるために教員が問題に取り組んだ方が評価が上がる仕組みを構築する必要がある。だから、私は基本的に教育委員会の仕組み全体を改善するという意見に賛成だ。
組織の規模が大きくなるほどに事なかれ主義が蔓延するのは何処の世界でも同じである。事なかれ主義を取り除くためには、正当な取り組みを正当に評価する仕組みが不可欠である。そう考えると、教育委員がすべきことは教員や学校の取り組み状況を如何に正当に評価するかということに限定しても良いかもしれない。
もちろんそのためには数多くの視察が必要だし、予防的措置により問題を起こさない学校と、発生した問題に対する適切な措置を講じた学校をどのようにバランス良く評価するか、同じ学校でも個別の教員をどのように評価するかという大きな問題がある。評価には地域特性などを考える必要もあるだろう。別の面では評価権限が集中すればするほどに癒着や利益誘導が発生しやすくもなり、その対応も必要である。

だが、基本的には個々の学校における自発的取り組みを促す方向にいかなければ、おそらく今より良いという状態に持っていくことは難しい。仮に建前上教育委員が常勤となって忙しく働いても、学校教育の環境が改善しなければ何の意味もない。その環境改善状況を完全な形で定量的評価する方法はおそらくないだろう。生徒や保護者評価を導入することも可能だが、かえって生徒や保護者にこびを売るようになっては困る。
難しいことは重々にわかってはいるが、それでも現状のように実質的に教員の互助組織となっている状況は意味があると思う。問題があればどんどんと改善していけばよい。今の問題は、組織が変わらないと高をくくっている状況が最も問題だと思うからである。

ただ、こうした組織の根本的な改善をしないままに教育委員の職責を重くしようとするならば、今度は教育委員になるものが減っていくことになるだろう。いくら名誉職とはいえども責任ばかりが重くなっては割に合うはずもない。なり手が無くなると言うことは結果的に現在の教育委員会制度の崩壊を意味するのだから、私は教育界が自浄的に改善策を出すべきだと思うのだが、現時点ではそんな動きは全く見られないようである。