Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

文化は格差が大きい方が花開く?

民主主義の進展や平等意識の広がりは、私達に多くの自由と可能性を与えたのは間違いないと思う。しかし、創作や文化は多くの場合に完全なる自由ではなく、不自由の現状を打破するために創作の中で自由を勝ち取るという状況であったのではないかとも思うのだ。
それは、不自由さこそが創作のヒントになり土台となるからだと思っている。もちろん、雁字搦めで何も自由がなければさすがに創作の自由さえも掴むのは容易ではないだろうが、完全なる自由のものにおいても同様に難しい。確かに一部の天才は完全ある自由の下でオリジナルの創作を創り出すことができるかもしれないが、それも多くの人が創作物に同調できてこそ社会における文化として定着する。

全くの白紙な条件で自由にものを作れと言われても戸惑ってしまう人は少なくない。一定の制限があるからこそそれをきっかけあるいはテーマとして想像を広げていくのが一般的である。更に言えば、そのテーマとして捉えられた内容が多くの人に共感を与えてこそ文化として社会に広がっていく。その共感を得られるという部分において、文化は社会的な不合理や格差、場合によれば差別がきっかけとなって広がっていく。
自由と平等は私達が希求する価値ではあるが、それを真に意味で得たならば私達は精神的な葛藤を失い、自由の下で広がると考えられがちな文化すらも色褪せてしまうのではないかと思うのだ。ステレオタイプなものではあるが、世紀末に退廃的な文化が広がる様が言われるが、それは自由と平等の行き着いた先ではないだろうか。

一方で、強烈に抑圧された人たちが後世に残る文化を創り上げられるかどうかは、なかなか難しい部分もある。ブルース(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9)のように労働歌として現代にまで伝えられるものもあるが、文化として熟成することなく消えていったものも多くあるのではないかと思っている。文化は多くの共感を必要とするが、同時にそれを広められるような土壌がなければ、単なる風刺として一過性のものとして終わってしまう可能性もあるだろう。
とは言え、格差や違いが私達の感情やインスピレーションを大きく揺さぶり、時代を超えて残る文化の源になるのは間違いない。それは、問題が明確で誰にも認識しやすいものだからであるというのが理由である。

豊かで満たされた時代や社会において、誰もが理解でき共感できる文化が熟成する可能性は低くなっていく。そして、一部の同好の志による一種マニアックな集まりが増加し、あるいは国内ではなく国外にそれを感じるような動きになるのであろう。
こう考えると、やはり文化とは人々が生きる目的と似ている。完全なる自由や平等あるいは十分な富などを希求するが、実のところ生きるための目的はそれを得る部分にこそ存在し、得た後には新たな目的を見付けることに迷ってしまうのである。