Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

教員の社会経験義務化

教師の不祥事が続いているが、そもそも不祥事だけでなく教員としての能力に疑問を呈されている例も少なくない。各個に求められる教師像においては、単純に学習指導するだけでなく生活指導も必要とされている。こうした動きに対応するため、教員となるための大学での教職課程を6年にすると言う議論も為されている。現状でも医師は6年制だし工学分野でもその動きは広まっている。
ただ、教師の場合には専門分野の知識を深めるという面よりは人間的な能力を向上させる方が重要ではないかと考える。その場合、単純に大学課程を6年としたからと言ってそれが向上するとは思えない。むしろ、一般の社会人として3年以上の経験を有するなどの教員免許取得制限をかけた方が良いのではないだろうか。
社会生活を教えるためには、頭なのかでそれを知っているよりむしろ実体験で知っている方が重要である。大学を卒業してそのまま教師になり、その世界の中のみで生きている教師よりも随分と広い知見を知ることになるはずだ。この場合、塾講師などが一時的な受け皿になるかも知れないが、それでも一時的に外の世界を知ると言うことは教師にとって良い経験になるし、結果的にその経験は教育を通じて子供達に反映される。

教員組合の問題なども、結局のところ狭い世界しか知らないからこそ生じている面もあり、教員の資質を高めるという上でやる価値はある。もちろんそれをしたから資質の劣る教師が激減するとは言わないが、マイナスになることはあるまい。個人として社会経験など必要としなくても十分な能力がある教師も少なからずいるかも知れないが、その人達においてもやはり社会経験が悪く働くことはあるまい。
これは、小中高校の教員のみならず大学教員についても同じような制限を付ける方が、単純な課程博士のみを増やしてポストドクターを乱造するよりも随分と意義があるように思う。民間で社会問題をしっかりと見定めた上で再度研究及び教育の道を歩むと言うことだ。もちろん、全ての教員をそうしなければならないと言うつもりはないが、少なくとも半数は社会経験を必須とした方が良い効果を与えると思うのだ。課程博士などは、多くの場合課題を教授などから与えられて研究とすることが多い。研究の意義がないとは思わないが、それ故にポストドクターが企業で使えないとされてしまうのであろう。
また、修了した大学に教員としてそのまま残るシステムはなるべく改めた方が良いと思う。欧米では、教授などの地位に就く場合には必ず別の大学に出なければならないというシステムのところも存在する。今では教授公募制も徐々に広がりを見せてはいるが、まだまだ内部昇格者が多いのは間違いない。

民間に行くにしても、別の大学に移るにしても一見研究や教育に専念するには無駄な時間と映らなくもない。しかし、社会というものが広がりを持っている限りにおいて、異なる経験がマイナスに働くことは非常に少ない。人にものを教えるという職業だからこそ、それにふさわしい経験を積んでおく必要があると思うのだがどうだろう。
教員は、トップの数人の能力をより向上させるよりも、底上げを図ることが何よりも重要だと思うのだ。