Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ティーチャーズドリーム

学校教師の質の低下が叫ばれて久しいが、別に昔から学校の先生が全て良質であったわけでもない。加えて、学校教育が一方通行であった時代であれば容易にできたことが、双方向を目指し始めた現代では必要とされる教師レベルもおそらく向上している。
別に今の時代の教師を持ち上げるつもりはないのだが、それでも現在の学校の先生もそれなりに大変なのである。その大変さの代償を何によって解消するかは人それぞれだろうが、給与がそれなりに高いことで満足したり、休暇がそこそこ取れることにより満足したり、あるいは他にもあるかも知れない。

一方で社会が教師に望む資質としては、取りこぼしのないことではないかと感じてる。確実に平均点以上を取ることを望んでいる。もちろん質が良いに超したことはないが、それよりも極端に劣ることを懸念される。結局のところ落ちこぼれの先生をなるべく排除する方向での動きが主体となる。とは言え、質の悪い先生が排除されにくいのは公務員故の首切りの難しさであるが、それでも徐々にではあるが悪い側を排除する仕組みは出来上がりつつあるようだ。
こうした動きに対して教職員組合などは反対の声を上げているものの、その声は今ひとつ社会には届かない。もちろん、出来の悪い教員を排除することに社会が同意しているからである。社会が教員の雇用を守る義務などないのだから。

とは言え、こうした評点制度的なものは頑張る先生を押さえつけてしまうという面も確かに存在する。要するに、プラス側の評価が曖昧なままマイナス側の評価のみが積み重ねられる容易なると、人間はマイナスをできるだけ無くす方向、すなわち難しいことには手を出さずに当たり前のことを当たり前にこなすようになってしまう。人によって異なるだろうが、バイアスとしてはネガティブなものが働いてしまうのである。落伍者を拾う仕組みは全体の平均値を下げる懸念があるということである。教職員組合の身勝手な論理を支持するつもりはないが、それでも出来の悪いものを切るだけでは教育体制の向上は必ずしも望めない。
では、逆の考えに立って出来の良い先生をもっと表彰する制度を作るというのはどうだろう。もちろん、良い先生といっても様々な側面があって教え方が上手いのもあれば、生徒の成績を向上押させるのが上手いのも、生徒の自主性を育てるのが上手いものなど様々だ。だから、様々な分野を作って国や自治体がこぞってそれを表彰する制度を作る。表彰には給与的なインセンティブを与えても良い。

もちろん、それをどのように評価するのかという大きな問題がないわけではないが、それでも教師が結果を残そうという前向きの期待感や希望を持たせることができるようなものであれば、教師の質の平均値は上がるだろう。結局、仕組みの中に安住するよりはチャレンジした方がメリットがあるとポジティブな認識を与えることが、結果として教育の質を上がるのではないかと思うのだ。
できることならその価値が高まれば高まるほどよい。まあ、この表彰制度にかまけて現実の教育や生活指導がおざなりになっては意味ないが、それこそ教えられる側の生徒の声も評価の一部に取り込めばまやかしも通用しまい。
そして、この表彰を受けることが教師のステイタスと信用を取り戻させるものとなるならば、結果的に教育環境にも良い影響が出ていることになる。悪いから罰するだけではなく、良いものを正当に評価する。それが重要な時代になりつつあるのかもしれない。