Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

創作の意味

創作に関しては何度か触れてきた。[創作とは(http://d.hatena.ne.jp/job_joy/20111218/1324135932)創作者と消費者(http://d.hatena.ne.jp/job_joy/20120329/1332971926)]創作とは新しい何かを作り出すことであるが、多くの場合には全くの新規なものを作り出すというわけではない。科学・技術の世界では、小さな発見が積み重なることで新たな技術が生み出されていくが、それでも根本的に社会を変えるようなインパクトのあるものはそうそう現れては来ない。同様のことは、芸術的な創作物においても言えるだろう。創作者達は、既存のものに少し新しいアレンジを加えることで今まで無かったものを生み出していく。

ところで、この創作とは何らかの摂理を解きほぐすことであって真理の追求ではないと考える。創作とは完全に自分のために行うものでは無く、人にそれを感じて受け止めてもらうことを目的としている。真理の追究は個人的な探究行為であり創作とは異なる。一方で至った考えを披露して人々に知らしめるのは創作の役割ではないかと思うのだ。メディアなどは芸術家を探究者として取り扱うことも多いが、私は芸術家は単に求めるものではないと考える。求めたものを人々に解きほぐし示すのだ。
ただ、具求者としてのイメージが芸術家のイメージをより有利に演出することもあって、実際にはより難解で解読不可能な言葉などが多用されやすい。それは難解なイメージや思索の結果を難解なままにしておくことで、近寄りがたくして創作物を高みに置こうとする。それは、高みにおくことを目指すようでありながら現実には、創作物が消費される期限を引き延ばそうとしているに等しい。近寄りがたく咀嚼が困難だからこそなかなか消費されがたい。結果としてそれは創作物の賞味期限を引き延ばすかも知れないが、同時にその創作物を深く理解するものを減らす。
多くの人々に知って欲しいと願い創作するものが、自らを人々と距離を置くことで近寄りがたくしているのだから、考えてみれば本末転倒ではないか。

創作物の賞味期限を引き延ばすのは、難解な言葉で虚飾したり煙に巻くのではなく、その創作物自身の持つ深みを持って図るのが本道である。そのためには、一つではなく様々なメッセージが込められ、それを創作物に昇華する時間と過程が必要となる。
込められた言葉や内容が、一面的ではなくむしろ多様に社会に語りかけるとすれば、結果的にはその創作は容易に消費されることなく生き残る。創作物が芸術としての価値を強く持つようになるのは、それが時間という新たな価値を獲得した時ではないかと思うのだが、そのためにも容易に消費し尽くされるようなものであっては不足なのである。親しまれ長く愛され、容易には飽きられない。それが目指すべき目的なのだろうと思う。

一時的な権威は難解な言葉で得ることができるだろうが、それが真の意味で価値を持つようになるためには多くの人に触れられなければならないのだろう。