Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

橋下会見事件

先日、大阪市役所における記者会見(?)でMBSの記者と橋下大阪市長によるやり合いが論議を呼んでいる。橋下市長を支持する意見もあれば、正反対に記者を支持する意見もあるようだ。詳しくはyoutube(http://www.youtube.com/watch?v=3OKlJeer0PQ)に会見そのものが出ているので、少し長いが現物を自分の目でご覧いただいて判断されるのが最も良いだろう。
とは言え、私なりの感想もあるので少し書いてみたい。

構図は明らかだ。記者は自ら勝手に構築したストーリーに合わせて橋下市長から引き出したかった言葉があった。ところがそれに気づいた(というかいつもそればかりなので)橋下市長は、記者に都合の良い言葉を言いたくなかったので逆襲した。
通常の記者なら逆襲により、今回は言葉を引き出せないと悟って途中諦めるものを、この記者はそれを諦めずに最後まで食い下がった。おそらく単純にそれだけのことに過ぎない。
実際に、多くの記者は自分(が記事にするの)に都合の良いストーリーを事前に組み上げる。これが、緻密な取材に基づいて構成されたバランスの良いものであればこうした方法も悪くないだろう。最後のピースを対象者本人の現地により言葉で埋めればいいのだから。ある意味ジャーナリストの面目躍如でもある。
しかし、多くの記者はそんなレベルには達していない。自分のできる範囲の取材(概ねは自分なりの正義感に従ったものではあるが)を勝手に組み上げた不十分な論理構成で記事を書く。記者は忙しいのでそんな細かいことなど仕方がないなんて言う生駒市長もいるようだが、記者もプロである。それで飯を食っている以上、市長はプロでなければならないが記者は素人でも良いなんて論理は筋が通らない。

もちろん、橋下市長のやり方は決してスマートではない。質問に質問を重ねるやり方は、国会論議でもかつての菅総理が行っていた手法であって答えたくないことがある時に用いる手法なのは多くの人が知っている。だから、仮に記者に致命的な間違いがあったとしても印象に悪いところが出るのはそのとおりである。
まあ、現実には上記の記者のような対応をする人が山ほどいるので、いちいち相手にしていられないというのが正直な感想であろう。理想を言えばもっと優しく諭せばいいのだが、あの手の手合いは甘くすればするほど付け上がるのも事実である。ただ、その問題は市長として避けては通れないので甘受しなければならないとも思う。それがどれだけ偏ったイデオロギーに基づく取材であってもである。

私は君が代問題について言えば正直それほど興味はない。ただ、別に橋下市長のやり方が悪いとは思わない。左翼教師が跋扈する現在、その生存権自治体が保証する必然性など無いと思う。その上で、イデオロギーの主張は民主主義のこの時代であっても一種の闘争であり、それをその禄を得る者が行うのは職を賭してすべきものであろう。こうした状況が軍国主義への第一歩だなどというファンタジーはいい加減にしてもらいたい。
それは肥大化してしまった権利を、社会的なバランス感覚から判断して制限しようというだけの問題にすぎない。要するに今まで認められたのに、なぜ今は認められないのだと我が儘を言っているとしか私には見えないのだ。一度得た権利は決して手放さないのが人間の性であり、それは新聞などが叩く既得権益そのものの姿と何ら変わるところはない。

記者の質問の仕方で、「教師が君が代を歌わされるのを見た子供達はどう思うのか。」などという感じの頓珍漢な質問があった。それを聴いて吹き出してしまった。子供達にとってはそんなことはどうでもよいことだ。却って、「仕事って大変だな」くらいには考えるかも知れないがそれも立派な教育であろう。なぜそれが、質問の核心たり得るか私にはさっぱりわからない。
単純にこの記者は弱者と捉えられる範疇の子供を利用して、自らのイデオロギーを主張しようとしているに過ぎない。それは、多くの思想運動に用いられる方法であり、論理で勝てない時に用いる感情を用いた手である。特に、法的に問題ない論理で崩せないケースに利用される。
国民の記者に対する支持が少ないのは、こうした手法が既に多くの国民に看過されているという面があるだろう。記者が言わんとしているのは突き詰めて言えば教師の(君が代を歌わない)権利の問題であって、その面では議論に勝てないので搦め手を使っているに過ぎない。ただ、法の執行者たる市長が行政行為を行う上で感情論が論理の上に来て良いとは決して思わない。その意味で、記者の方法論は決して市長の立場を崩し得るものではない。

「論理と感情のぶつけ合いなので、話が噛み合わないのではなく最初から噛み合わないように議論を仕掛けているのである。筋から言えば記者が論理で橋下市長を崩さなければならない。」