Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

J-POPの歌詞が貧弱との噂

2ちゃんねる内の書き込みで恐縮だが、、、
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翼広げ過ぎ
瞳閉じすぎ
君の名を呼び過ぎ
会いたくて会えなさ過ぎ
前髪切りすぎ
私弱すぎ
桜舞いすぎ
母親感謝されすぎ
季節めぐりすぎ
君のこと考えすぎ
もう一人じゃなさすぎ
大切な人居なくなくなりすぎ
あの頃に戻りた過ぎ
一歩づつ歩いて行き過ぎ
同じ空の下にいすぎ
夢を夢で終わらせなさ過ぎ
眠れぬ夜多すぎ
寂しい夜迎えすぎ
不器用な俺だけどお前のこと守りすぎ
何かがわかるような気がしすぎ
移りゆく街並みを眺めすぎ
つないだ手離さなすぎ
光が挿す方へ行き過ぎ
君がいれば他に何もいらなすぎ
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この件について、朝日新聞デジタルマキタスポーツなどの取材を含めて記事が上がっている(http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201204050351.html)。
正直言えば、FMラジオなどから流れてくるJ-POPの曲であっても、流れる音楽のみから正確に歌詞を聴き取れる曲はかなり少ない。
かつて、オレスカバンドの「自転車」という曲をFMで聴いていて、「自転車、自転車、自転車」というフレーズに続く言葉をずっと「トイレ」だと思っていたのはご愛敬である。正直、なぜ「トイレ」と連呼するのかと思っていたが、何のことはない「漕いで」の聴き間違いであった。
まあ、これなどは私の聴力の不足なのだが、それ以外にも日本語の曲でありながら正確な歌詞が聞き取れないモノは少なくない。もちろん、洋楽でも歌詞が聴き取りにくい曲などいくらでもあるので、別にそれが日本に限った問題ではない。

POPSというものは、歌詞そのものの深い意味よりは雰囲気を味わうものだと理解していた。それは共同体的な気分である。だから、その共感を広く得ようとすればするほど歌詞の内容ではなく、雰囲気を重視する形になっていく。
その結果、テンポの良いリズムとわかりやすいフレーズの組み合わせが最も効率的で体系的な手法として確立してきたのかも知れない。曲のテンポにあったフレーズが散りばめられていたならば、それ以上は雰囲気で感じろと言うことであって、その先を事細かにほじくり返すのは野暮というものでもあろう。

もちろん、POPSの中にも歌詞を深く聴かせるものも多くある。例えば、少し前にヒットした植村花菜の「トイレの神様」などは典型的な歌詞を聴かせるタイプのものである。古くはさだまさしなどが思い起こされるこのタイプのPOPS(さだまさしがそれに分類されるかどうかはちょっと疑問があるが)は、逆に派手で刺激の聴いたリズムを必要としない。主が歌詞であって中身を聴かせるものであるのだ。
そして、こちらのタイプがヒットしないというものでもないのだが、全体的な傾向で見ればこちらのタイプの方がヒットが少ないと言うことも何となくわかる。

かつての歌謡曲というものは、歌詞も読ませる上に曲(歌唱力)も必要としていたように思う(もちろん、作曲技法などは今の方がレベルは高いだろうが)。それ故に、専門の作詞家や作曲家が多く必要とされた。ところが、現代では曲(リズム)先行型と歌詞先行型の二つのタイプが細分化しつつあるように見える。もちろん両者を併せ持つ歌手も少なからずいるだろうが、消費者のPOPSに対する消費動向がそこに関係しているのかも知れない。
それは、単にリズムのトッピングのような歌詞を必要としているタイプと、歌詞そのものを重要視するタイプである。前者は歌そのものには深く意識を向ける気持ちがそもそもない。ながら的、あるいは曲に身を任せるタイプの使用を行い、後者は歌詞を意識と深く共有させる。もちろん、前者の方も歌詞に全く興味がない訳ではない。あくまで感覚の共有というレベルに留まっているのだろう。それは深く話を聞いてくれる相手ではなく、雰囲気や感覚を共有できる緩いつながりを求めていると言うことになるのかも知れない。
結果として、最近の言葉は軽く扱われているように思う。日常生活において強烈な言葉でも、曲の中では会話内の言葉とは別種の音として認識されやすい。要するに語呂や韻の良い言葉が多用されるのである。

だとすれば、そもそも歌詞すらもリズムの一部のように用いているJ-POPに対して同じフレーズが使い回されていると言っても何の意味もない。それは、もはやもはや演奏の一部でしかないのだ。演奏の一要素にクレームを付けるというのはやはり野暮なのではないだろうか。

「緩やかな共同体意識しか抱けない若者が増え続けているとすれば、それは別の意味で問題があるのかも知れないが、その枠組みにおいてJ-POPは結果であって原因ではない。」