Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

緩やかな被統治は蜜の味

人は、自由を求めながらも実のところ支配されることにも心地よさを感じている。もっとも、被支配というと穏やかではないので、被統治と言っても良い。感じる心地よさの程度はもちろん人によって様々ではあるが、統治を受け入れるあるいは支配されるというのは、重要な決定から逃れると言うことでもある。これは、国でもそうだし企業や大きな組織についても同じようなことが言える。

すなわち、意味のない文句を言って誤魔化しながら重大な決定・決断を他人に押しつけることができるのだ。決断は大きな辛さを伴う。それは自ら感じる辛さだけではなく組織内からの批判を含む。そして、大きな辛さを一度味わうより、小さな辛さを積み重ねる方が人にとっては心地よい。なぜなら人は小さなショックには慣れることができるから。最初は小さな痛みでもショックを感じるだろうが人は徐々に痛みに慣れていく。その結果、本来継続している小さな痛みが普段の定常状態となりかねない。それが常態化すれば、頭では小さな痛みがあることは理解していながらも大きな痛みを忌避して安定を指向しやすい。
最小不幸社会」などというのは、ある意味この支配方式に適したキャッチフレーズかもしれない。不幸を最小限にするから、皆さん一緒に耐えましょうというものだ。苦痛がバランスされているのであれば、他者と比較して悪くないのでOKだと感じるところを利用している。
本来は社会全体の幸福を最大化することが望まれるべきなのに、他者との違いが縮まるのであれば幸福が減っても構わないと言うことである。

もちろん幸福追求を個人レベルで自由化すれば、それは大きな格差社会を招きかねないという懸念についてはよく理解できる。典型はアメリカ社会であろう。そこから比べれば日本社会は社会主義と言われてもおかしくないほどにバランスしている。横並びは人々の不安を打ち消しやすい。
安定した社会とは、皆が一定のルールを守って秩序だった社会を意味する。ルールが守られない社会が世界には横行していることはよく知られているが、日本人の民度が高いと言われるのはルールを遵守する意識が非常に高いことがある。それは他国との争いが少なかったが故の「お互い様」という感覚に基づくものではあるが、同時に統治される資質を十分に備えているとも言える。

適正に統治された社会は、人々の大きな格差はなく(例えばジニ係数が小さい)、犯罪なども少なく、お互いに信用しあえる社会であると考える。ただし、安定が続けば安定に安住することで不正が横行し始め徐々に世は乱れていく。これを適度に修正しながら社会の発展と構成員(例えば国民や社員)の幸福の増進に努める必要がある。問題は、統治者がそのような社会を最大化することを指向しているかどうかだろう。統治ではなく、自己の最大利益化(お金や権力)を図ればそれがでいなくはない社会なのだ。
徳による統治が最も求められる社会とも言える。現実には、国の場合に徳による統治を政治が全く実現していないために、その代替として制度・システムによる統治が行われている。それを司るのは国の場合には官僚機構と言うことになる。官僚がシステムメンテナンスのみに従事しているうちはよいが、それを利用して自己の利益を最大化しようとすることから、格差が生じて社会的に批判される。

では、日本人がこのように秩序だったお互い様の被統治よりも独立独歩を重んじればよいのだろうかと言えば、これもまた議論のあるところである。
安定は、被統治側がルールを遵守して秩序だっていることが重要となる。それ無しに個の主張を通すようになれば、それは社会の活性化ではあるが安定は失われる。重要なのは、両者のバランスを如何に保ちながら時代にあった良い落としどころを探るかである。

現実には、この安定した社会が何よりも良いと考える人が非常に多く、それ故に変化を拒む。安定はするが衰退する社会である。日本のように統治状況が曖昧な社会は、その緩やかさ故に国民にとっては楽でかつ苦痛を感じにくい。
ただ、世界が大きく変化する時代においてこの蜜の味にこだわり続けることが、社会全体の発展には貢献しないこともまた間違いないだろう。

発展と安定の両者を上手くバランスする知と、それを認めさせる徳が必要な時代なのだと思う。

「未来のある若者こそが発展への声を強く上げなければならない。それすら、年配のものが気配りするようではおそらく未来は暗い。」