Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

著作権保護

現在、インターネット上には無数の著作権法違反に該当するデータが流通している。よく知られているところでは、WinnyやShare、Torrentに代表されるP2P(Person to Person)を用いたデータ流通から、この前FBIにより摘発されたMegauploadなどに代表されるアップローダーなどが、これら違反データの流通の舞台となっている。
音楽業界や映画業界などは、これら著作権違反にはかなり厳格な態度で臨んでおり、日本でもアニメや映画などのデータを無制限に流出させた罪で、毎年数人が逮捕されている。

P2Pによるデータの流通は基本的には対価を伴わないこともあって、個人的な趣味の範囲での流通であるが、アップローダーの場合にはそうではない。一般的によく知られるアフィリエイトシステムが用いられており、数多くのダウンロードを導き出したものには相当の対価が支払われるようになっている。それ故、人気のある作品ほど著作権法違反してもアップロードされるという問題が生じやすい。
今回のMegauploadの摘発を受けて、アメリカにサーバーを有する多くのアップローダーはアフィリエイトを取りやめたり、あるいはアップロードをした当人のみしかダウンロードできないなどの措置を講じている。

そもそもアップローダーの元々のニーズは、ネットを利用したデータの共有にある。動画におけるyoutubeなどもそれがオープンであるかどうかは別にして同じような存在と言えるだろう。現在問題となっているのは、これらネット上の共有サイトを通じて著作権侵害が数多く行われていると言うことである。
ところで、この著作権侵害を考える上ではそもそも著作権とは何なのかを考えなければならない。著作権とは、wikiによれば「著作権(ちょさくけん)とは、言語、音楽、絵画、建築、図形、映画、写真、コンピュータプログラムなどの表現形式によって自らの思想・感情を創作的に表現した者に認められる、それらの創作物の利用を支配することを目的とする権利をいう。」とされる(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9)。
技術的なものについては工業所有権(特許、考案、商標など)として区分されており、それらに属さない創作物に関する権利を著作権と呼ぶ場合が多い。著作権が必要とされるようになったのは、印刷技術の発展による部分が非常に大きい。要するに複製を作ることができるかどうかである。元々、複製を作ることができなければ(絵画では贋作があるが)著作権保護の問題はそれほどクローズアップされることはない。中国などのキャラクター盗作問題はあるものの、それらは比較的容易に状況を特定できる。

現代では、コンピューターとネットの発展により複製物が非常に容易に作成・流通されるようになった。それは多大な部数を発行する書籍であったり世界的な映画公開であるなど、創作物による収益を拡大する上で大きな役割を果たすのだが、同時にその拡散を防げないという面が存在する。
現象面のみを見れば、ネットの普及は著作権侵害を拡大する側に大きく寄与している。それらは文化的な側面も大きく左右しており、中国や韓国などでは一種違法コピー天国とも言える状況が存在する。
アップロードの取り締まりでは効果がないと、アメリカやイギリスなどは既にダウンロード違法法案が成立しており、違法データをダウンロードすることも罪に問われる。日本の場合にも、動画及び音楽についてはダウンロードが違法となっている。ちなみに、違法ダウンロードを完全になくせるかという議論は様々な場所で常々行われており、スイスやオランダではダウンロード違法化は困難であるという主旨の見解を示している(当然アップロードは違法であることにお間違いなく)。

ところが、このような違法データがやりとりされかねないyoutubeなどの媒体ではあるが、これらを利用してマーケティングを図る事例も少なくない。無料の販売促進装置とすればこれほど有効なものもないのだ。通常の音楽や映画などは広告に莫大な投資をする。それを回収するためには価格が一定以上にならざるを得ない。ところが、仮にyoutubeなどによる広告が成功すれば無用な支出を抑えることができるということにもなる。
現実には、ネットを利用した広告で成功をパターン化するまでには至っていない。偶然的な成功はいくつか見られるが、そこに確実性を見いだせないために企業が本腰を入れてそれを用いるという状況には至っていないのであろう。

次に、著作権保護の程度が妥当かどうかという問題が存在する。一義的には創作物は作者固有の権利が存在するのだが、日本では著者の死語50年が保護期間とされる(映画のみは70年とされている)。アメリカが70年の保護期間を設けているため、未だ外交圧力がかかり続けているとも聞く。
あるいは最近の話題としては、著作隣接権という概念がある。これは、特定の著作物に関する二次創作などに関する許諾を出版社が行うと言うものである。また、違法データのやりとりについてインターネット環境を提供している企業に責任を持たせようという動きもある。現時点では猛反発により継続審議として事実上法制化の動きは止められてはいるが、今後も様々な圧力があるだろう。

これらの議論を見ているときに気になることがある。それは、著作権者やそれを販売する企業の権利は守られるべきだと私も当然考えるが、現状では著作権の効力をできる限り大きく扱ってそこから得られる収益を最大化しようという動きが非常に露骨なのである。主旨はわからなくはないものの、JASRACなどにより流しの演奏にまでペナルティを与えるようなやり方が本当に正しいとは私には思えない。
要するに、著作権という建前の権利をとことんまで利用して収益を最大化しようという商業的な目論見が全面的に押し出され、権利の拡大を図っているからである。
特にハリウッドなどのコンテンツ保護については、政府などへのロビーイングを通じて権利確保がかなり露骨である。噂話なので何処まで信じて良いかはわからないものの、MegauploadへのFBIその操作はアップローダーを利用したコンテンツ販売戦略を既得権益が潰すために画策されたという話も出ているほどである。実際には違法データの社交場であった(しかもそれをむしろ推進していた)のも事実なので、このあたりについては今後の情報を見て判断したい。

これら著作権保護の前提が、コンテンツ売り上げの下落が違法データのやりとりによるとするためであるが、私は必ずしもそうではないと思っている。それは、コンテンツにより利益を出そうと考える側の想定する利益に対して、消費者側が支払える金額が伸びないからではないだろうか。消費者が支出できる金額には限度がある。それを物販からコンテンツまで様々な分野で奪い合っているのが現状だ。
その上で、コンテンツの数も種類も従来から比べても大きく伸びている。その結果どうなるか。買わないコンテンツが増えるだけである。違法ダウンロードはおそらくその隙間を埋めるために行われている。
現実に、好きなコンテンツはやはりお金を出して正当に買う人は非常に多い。そして、違法データを扱う人はそれを消費するために扱うのではなく、それを収集することを目的として集める人が多い。集めることが目的化しているからこそ、これだけ違法データがやりとりされている面があるのではないだろうか。
もちろん、だからと言って違法な取引が許容されるわけではない。ただ、違法データの取引を厳格に制限したとしても、おそらくその売り上げが伸びるわけではないと思う所以である。
以前のエントリでも書いたが、グラミー賞を総なめにしたアデルのアルバムは世界中で信じられないほどのセールスを得た。好きなものを買わない文化が浸透しているとすればそんな結果は導かれない。

「創作物を扱う人々は、その虚像を大きく膨らませすぎているのかもしれない。」

(おまけ小説:習作)全国共通就職検定試験
http://alternativissue.blog.fc2.com/blog-entry-13.html