Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

日本デザインの復権

日本企業の凋落が日々のニュースを賑わせている。多くの日本人は、円高を嘆き、日本の意思決定システムの遅さに落胆し、それをフォローできない政府に不満をぶつける。
日本企業の不調は、その原因の大部分が円高によることはその通りであるが、円高のみが全てかと聞かれればやはりそれ以外にもいろいろと問題があることは間違いない。日本製品の良さは、高品質・高性能にあることは間違いない。そして日本の戦略は、こうした高い品質を前面に押し出すことで高付加価値なものを世界に売っていこうというものである。
元々高付加価値なものを売ろうというのであるなら、程度の違いはあるももの価格は他国のそれよりは高くなっても当然である。より付加価値を上げていけばどんどんとその差は広がっていく。いわゆるブランド戦略だ。

ところが、日本の商品はそのブランド化に見合うだけのデザインとなっているのであろうか?
確かに品質は高い。そういう意味での日本ブランドは今でも生きている。ただ、かつてと比べれば韓国や中国の追い上げによりその差はかなり縮まっているのも確かであろう。とすれば、高付加価値を言うならば品質以外の部分でも差別化を図らなければならない。
韓国製品は、日本と比べればまだまだ品質的には劣る部位もある。加えて、サムソンがアップルとの訴訟になっているように、先行商品の良いデザインなどを後発で真似るなどの不公正とも取れる方法論を採っているのは正しいとは思わない。
ただ、それでも品質の不足分は価格の安さとデザインに注力しようとしているのはよくわかる。そして、このデザイン面は付加価値を与える上では決して侮ることができるものではない。人がモノを買う一番の動機は必要に追われてであるが、その次は気に入るからである。世界経済が成長してモノが買える人が増えれば増えるほど、この「気に入る」という部分は捨てがたいのだ。
かつて日本の商品が世界を席巻したときも、最初は安さから始まったかもしれないが、それが品質を売り物にできるようになり、一部の商品はそのデザイン性でも確固たる地位を築いた。ところが、ここにきて日本の商品のデザイン性が後退しているように感じられる。ひょっとすると、リストラでその部分の意欲が削り取られているのかもしれないが、本来は差別化のために逆に注力しなければならない部分ではないだろうか。

近頃、日本のデザインがニュースで取り上げられることが少なくなっているように思う。それを日本の衰退だと切って捨てることは容易ではあるが、ものはそう単純ではない。日本の企業経営者達はデザインの持つ可能性を過小評価しているのではあるまいか。コンテンツ大国としての成長戦略も語られる時代である。それは何も漫画やアニメに偏るものではない。デザイン力という商品も立派な高付加価値戦略の一つである。
日本には、今も高品質で高性能な技術は存在する。ただそれを死守するのみではなく、そこにデザイン力という更なる付加価値を付け加えて発信していくことが重要だと思う。

ただ、現状になったにはそれなりの理由もある。日本のデザイナーのだらしなさであろう。それは、デザイナーがデザインという狭い世界の外を認識し切れていないことで、狭い世界の中に閉じこもりがちになることがあるように思う。もちろん個々としての才能は十分あるのであろうが、工業デザインなどの面でソニーの凋落とアップルの隆盛を見るに付け、何がそこに至らしめたのかを考えなければならないと思う。おそらくそれはデザインの力を信じるかどうかではないだろうか。

「付加価値とは想像力である。想像力を高めることは、経済の論理とは相容れにくい。」