Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

TPPとゆとり教育

ゆとり教育はその理念自体に共感する部分もあるが、実質的に狙いとは全く違った形で実施されて教育行政に大きな禍根を残した。ゆとり世代は、最も勉強できる時期にそれをする機会を逸したとも言える。実際にはそれを危惧した人たちは別途勉強を行ったであろうが、それでも国民全体で言えば勉強量が減少したのは間違いないであろう。
さらに言えば、少子化がそこに輪をかけて大学の推薦入試やAO入試などの特別枠が激増した。今では、学校にもよるであろうが数割の学生が正規の入学試験を経ずに合格を決めるところもある。これも、ゆとり教育と同じように本格的な試験を経ないという面での機会逸失であると私は思う。

ただし、ここで問題なのはゆとり教育の理念については大きく間違っているわけではないことだ。詰め込み主義の行きすぎはやはり問題だし、偏差値偏重の受験戦争も人間性を失わせるという意味で一面では非常に大きな問題であって是正されるべきであろう。そのことに異論はない。
また、多様な人材を大学に招くという特別枠の考え方も一概に悪いとは言えない。それにより偏ってはいても特別な才能を持つ者に機会を与え、その果実を大学を通じて社会が受け取る。そういうルートを無くしてしまうのは良くない。
ただ、過度の競争を防ぐことや特別な才能を見付けることも、それは極端になってはいけないと言うことだと思う。基本的な学習はやはり必要であり、特別な才能は世間にいくらでも転がっているわけではない。そもそも、過当な競争を繰り広げている層の子供達はゆとり教育だからと言っておそらく学習量を減らしてはいない。その結果、学校での学習がより必要な子供達の学習量のみが減ることとなり、それが大きな社会問題となったのだ。
特別枠での大学合格が増えるのも、現在はそろそろ問題とされ始めている。まず、受験を経ないため早期に合格を決めた高校生達はあまり勉強をしない。宿題などの課題が出されるが、提出するだけのそれと受験のための勉強では覚えるなどの努力や心構えが違う。結果的には、大学に入ってから高校の授業の補講が行われるなどの弊害がどんどんと増えている。
まあ、大学の数が多すぎるという別の面の社会壁な歪みも関係しているのだが、それが益々学生獲得のための特別枠入試に拍車をかけている。子供達にあまり勉強しなくても入学させるよと言うのは、大学のスタンスとしてどうなのだろう。

さて話はころっと変わるがTPPについて、近頃は一時のような報道合戦は影を潜めた。実質的には何も決まっていないのだが、報道の減少が既定路線化の道を顕著に示している。
そもそもTPPは多国間による自由貿易協定であるが、私も一定の自由貿易協定があること自体は否定しない。というか、むしろ日本にとっては必要であろうと思う。日本が国際的には貿易偏重の国家でないことはかなり知られてきたが(大国では、ブラジル、アメリカに次いで貿易依存度が低い)、それでもエネルギーと食糧については現状輸入に頼らなければならないのだから、貿易チャンネルはなるべく多彩に確保する必要がある。すなわち、それを確保するための交渉には参加すべきだし、そこで自己に有利な状況を常に保持しておく方が良い。
ただ、ゆとり教育の場合と同じようにその理念に十分な妥当性があったとしても、結果得られるものが失敗では意味がない。それはいくら目的が正しくてもである。TPPの姿の場合に最も問題となるのは、その自由化によって日本が受けるメリットとデメリットの明確な推測ができていないことがある。確かに、多国間交渉なので交渉において権益を確保するというのは間違いない。ただ、そのためにはカードはなるべく多彩にかつ用心深く準備されなくてはならないし、参加を取りやめる時のボーダーラインは明確に準備されていなければならない。その面で、日本は全くの準備不足である。あるいは最大の市場であるアメリカへのプレッシャーが少なく弱すぎる。参加するのであれば、日本はアメリカ市場を今以上に席巻しなければメリットはない。特に重要なのは、これまでアメリカ市場を開拓していない業界がアメリカ市場に参入するのが重要なのだ。これまでアメリカ市場に参入している業界の現状維持のためでは日本としてのメリットはないではないか。さて、そのための具体的なプランはあるのだろうか、業界の準備はできているのであろうか。
要するに、細かなシミュレーションが積み上げられていない。その状況で飛び込んで、しかもゆとり教育の場合とは異なり相手が無理難題をごり押ししてくるというより厳しい状況に対応する準備ができているとはとても思えない。明確に準備不足である。

では、参加しない方が良いというのではない。枠組みを変えるなりしてTPPの交渉をできる限り長引かせると共に、中国や韓国、インドネシア、インドなども参加できて市場が広がる別の道を探るのも一つの手である。日本が複数の多国間貿易協定に参加してもそれは問題ないはずである。アメリカと協定を結びにくい国が、日本というハブを通じて実質的に有利な形でアメリカと貿易できるとすれば、日本の立場も役割も増すであろう。さらに、別の道も持っているとなれば交渉上も大きなカードとして利用できる。

基本的にこうした貿易交渉は、GATT→WTOで失敗した。数が多すぎると一定のルールを決めることはできてもそれ以上は何も決まらない。だから、その次にFTAなどの二国間交渉が持ち出された。ところが、これは国々のエゴがまともにぶつかり合うので、お互いにメリットがあるケース以外は容易ではない。韓国のように国を挙げて貿易偏重で生きる道を取るならば別であろうが、そうでなければ国益を考えたときに全体で有利になるかどうかはわからないのだ。
そこで持ち出された多国間交渉ではあるが、TPPは最初から大きなハードルを掲げている。実質的な内国化に匹敵する原則関税撤廃である。その上で、非関税障壁の撤廃が議論の交渉内容となっている。これが日本にとってメリットがあれば推進すればよいが、デメリットが大きければ別の道を探ることにもなろう。あるいは、交渉条件を引き下げさせることも試みなければならない。それのハードルが高いことは既にわかっているのだ。

結局のところ、ゆとり教育もTPPもその思想が間違っているのではない。ただ、思想が正しくとも失敗すれば社会がダメージを受ける。特に、交渉相手とのせめぎ合いになるTPPの場合にはその色がより鮮明となるだろう。交渉のカードや別の道もしっかりと検証しておかなければならないのである。果たして、今の政府がそれをできているだろうか。閉塞感を打開するために新たなチャレンジに挑むと言うことは確かに重要である。ただ、国家というものの舵取りを考えるときにそのチャレンジは主体的に行わなければならない。主体性がなければチャレンジは成功しない。現状の枠組みにおいてTPPに参加する日本が主体性を持てていないのに、やむなく突き進むというのはあまりに無定見すぎると思えるのだがどうだろう。

「タフな交渉であればあるほど、交渉能力もであるが手持ちカードの豊富さが重要となる。カードがなければ降りるのもゲームにおいては常道である。」